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9月12日のニュース

菅前首相 原発事故を語る

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から、半年となった11日、政府の責任者として対応に当たってきた菅前総理大臣が、NHKのインタビューに応じ、事故直後の状況や“脱原発依存”という考えを抱くに至った経緯を明らかにしました。

この中で、菅前総理大臣は、原発事故の初動対応で原子炉格納容器の内部圧力を下げる「ベント」と呼ばれる作業が遅れたことが、深刻な事態を招いたと指摘されていることについて、「ベントについては、関係者全員が一致してやるべきだと判断しながら、実行が遅れた。その理由が必ずしも当時はっきりしなかったし、現在もはっきりしていない」と述べました。

そのうえで、考えられる理由について、「一つは技術的に放射線量が高いとか、暗いとか、いろいろな資材が足りないとかで作業ができなかったことは十分あり得る。もう一つは、当時東京電力の最高責任者の2人が事故が発生した11日の段階で本店におらず、そういうことが影響したのかもしれない」と述べました。

また、菅氏は、事故直後東京電力が福島第一原発から撤退するという情報が伝えられたため、当時の清水社長を総理大臣官邸に呼び出したことを明らかにし、「『撤退したいのか』と聞くと、清水社長は、ことばを濁して、はっきりしたことは言わなかった。撤退したいという言い方もしないし、撤退しないで頑張るんだとも言わなかった。私からは、『撤退は考えられない』と強く申し上げた」と述べました。

さらに菅氏は、原発事故の直後に政府として最悪の事態を想定したシミュレーションを行っていたと明らかにしたうえで、「最悪のシミュレーションまで行けば、首都圏を含めて何千万という単位で人が住めなくなる状況が出てくる。日本という国が、少なくとも今のような形では成り立たなくなる。そういう大きな危険性を避けるためにはどうしたらいいかと考えた末の私の結論が、原発依存そのものから脱却していくことだった」と述べました。

そして、菅氏は「原発に対する事前の備えが全く十分でなかったことが、いろいろな対応の遅れや問題が生じた最大の原因だと思う。直接の原因は地震と津波だが、備えが不十分という意味では、私を含めて政治の責任、人災だったと思う」と総括しました。

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