昭和天皇しょうわてんのうは、いま天皇てんのう陛下へいか祖父そふで、上皇じょうこうさまのちちです。

戦争せんそうわったあと最初さいしょ宮内庁くないちょう長官ちょうかんだった田島たじま道治みちじさんが、昭和天皇しょうわてんのうとの会話かいわいたノートなどの大事だいじ資料しりょうつかりました。ノートには1949ねんから1953ねんまでの会話かいわいてあります。

このなかで、昭和天皇しょうわてんのう戦争せんそうへの後悔こうかいについてなんはなしていました。1952ねん日本にっぽん独立どくりつもどったことをいわしきがありました。このしき昭和天皇しょうわてんのうは、戦争せんそうへのふか後悔こうかいと、戦争せんそうをしないための反省はんせい気持きもちをつたえたいとつよおもっていました。しかし、吉田よしだしげる総理大臣そうりだいじんが「戦争せんそうはじめた責任せきにんがあるとわれるかもしれない」とって反対はんたいしました。このため、昭和天皇しょうわてんのう自分じぶんいたかった後悔こうかい気持きもちをはなしませんでした。

専門家せんもんかは「昭和天皇しょうわてんのうは、みんなのまえ戦争せんそうへの後悔こうかい反省はんせいについてはっきりはなしたことがありません。とてもふか後悔こうかい気持きもちをつたえたいとおもっていたことにおどろきました」とはなしています。