ニュース画像

ビジネス
特集
アップルの秘密を盗んだ男

カリフォルニア州のサンノゼ発北京行きの海南航空7990便。男は保安検査場を通過し、母親が待つ中国に向かう飛行機にまさに乗り込もうとしたその時に、FBI=連邦捜査局の捜査官に逮捕されました。男は、空港近くに本社を構えるアップルの元社員。容疑はアップルの機密情報を盗んだことでした。小説さながらの逮捕劇が、つい最近、本当に起きたのです。そしてFBIが裁判所に提出した資料から、驚きの事実が明らかになりました。(ロサンゼルス支局記者 飯田香織)

機密情報を窃盗

ニュース画像

その男の名はXiaolang Zhang。中国メディアによれば、漢字表記は「張曉浪」容疑者です。世界で激しい開発競争が進む、自動運転技術の開発に関わっていました。自動運転のハードウエアの開発を担当し、エンジニアなら誰もがうらやむ機密情報に接していました。

そんな恵まれた男が何をしたのか。事件を時系列に見ていきます。

2015年12月7日
アップルに入社し、以後およそ2年半にわたって自動運転の開発チームに所属。回路基板の設計やテスト、センサーのデータ分析などを担当した。

ニュース画像

2018年4月1日から28日
子どもが生まれ、アップルの育児休暇制度を利用して休職。休職中は家族と中国で過ごした。

4月30日
復帰直後に上司と面談。突然、退職の意向を伝える。健康がすぐれない母親の近くに住むため中国に帰ると説明。電気自動車や自動運転技術を開発している中国の小鵬自動車で働く意向も示した。

しかし男の態度を不審に思った上司は、面談場所にセキュリティの担当者も呼んだ。面談後、アップルは男に貸与していたiPhone2台とMacBook1台を返却させ、直ちに男のリモートネットワークアクセスの権限などを停止。同時にアップル社内の機密情報を守るために設けた知的所有権に関する規定を改めて説明。男は規定に従うと応じた。

5月1日
アップルが社内調査を開始。その結果、男が退職の意向を表明した4月30日までの数日間、男のネットワーク使用状況が急激に増えたことが判明。機密情報が含まれたデータベースから自動運転車のプロトタイプやバッテリーに関する情報などを大量にダウンロードしコピーしていた。

さらに社員証を使ってどこにアクセスしたか足取りを調べると、育児休暇中の4月28日土曜日の夜9時14分ごろに本社を訪れたことも判明。防犯カメラには自動運転車のソフトウエアとハードウエアの研究室に入室し、1時間もしないうちにパソコンのキーボード、ケーブル、大きな箱を持って出ていく姿が確認された。アップルの警戒心が上がった。

5月2日
アップルが2度目の面談を実施。この中で男は、アップル在籍中に小鵬自動車への転職活動をしていたことを認めた。一方で、4月28日夜に本社を訪れたことを当初は否定。最後は、本社を訪れ、データベースから情報を取得し、2つの回路基板などを持ち帰ったことを認めた。

ただ、その理由は、アップル社内で新たなポジションにつくために有用と考えたからだと説明。データは、妻のパソコンに移したと明かしたため、アップルは妻のパソコンを調査。その結果、40ギガバイト分のデータを発見。アップルによると、データの約60%は流出したら「非常に問題(highly problematic)」に分類される機密情報だった。

5月5日
男はアップルを退職。その後、小鵬自動車のカリフォルニア州にあるオフィスで勤務を始めた。

ニュース画像

6月27日
FBIが男を事情聴取する。男は自動運転の開発プロジェクトのファイルを取得し、妻のパソコンにデータを移したことを認めた。

7月7日
FBIは、男がサンノゼ発北京ゆきの海南航空の往復航空券を突然、ひとり分購入したことを察知。サンノゼ空港ターミナルBの保安検査場を通過したところで男を逮捕。容疑はアップルの機密情報を盗んだことだった。

7月9日
FBIがカリフォルニア州の裁判所に男を訴追。

以上が逮捕劇のいきさつです。これが現実の話だというだけでも驚きですが、事件はさらに2つの点で注目されています。

自動運転開発競争

1つが、ベールに包まれていたアップルの自動運転技術の開発の実態がかいま見えたことです。

ニュース画像

裁判所に提出された資料は、A4版で15枚。冒頭にこんな記述があります。「アップルは自動運転に関心があることはメディアに言ってきたが、研究開発の詳細については、秘密に守られ公開されたことはない」。そうです。アップルは私たちメディアがどれだけ熱心にアプローチしても自動運転の取材にいっさい応じていないのです。

カリフォルニア州の陸運局によれば、州内の公道で自動運転の走行実験をしているのは56社。登録台数は、GM=ゼネラルモーターズが112台、実用化で先行するウェイモ(グーグルから独立)が72台。アップルはそれに次ぐ62台で、テスラの39台を上回ります。

実は、それ以外、あまり情報はなかったのです。ところが資料を読むとアップルの13万5000人の正社員のうち、約5000人が自動運転プロジェクトにかかわっていると書いてあります。このうち、機密情報が含まれるデータベースにアクセスする権利を持っているのは2700人。逮捕された男もその1人でした。

アップルの中で自動運転は、相当に大きなプロジェクトで、その本気度が伝わってきます。

ニュース画像

また、男がダウンロードした回路に関する25ページのPDFファイルがごく一部の人しかアクセスできないという記述もありました。機密を守るためにいくつもの対策をとっていることがわかりました。

米中ハイテク摩擦

もう1つは、事件でちらつく“中国”の存在と、そのタイミングです。

中国政府はハイテク産業の強化を狙って、3年前に「中国製造2025」という政府主導の産業政策を発表しています。トランプ政権やアメリカ議会は、中国がハイテク分野でアメリカを追い抜き経済の覇権を奪うのではないかという強い警戒感があります。スパイ活動やサイバー攻撃などあらゆる手段を駆使してアメリカのハイテク技術を不当に手に入れているのではないかという反発も広がっています。知的財産権の侵害は、中国の幅広い製品に制裁関税をかける根拠になっています。

ニュース画像

米中がハイテク技術をめぐって制裁と報復を繰り出す「貿易戦争」のまっただ中に事件が起きた。さらに男は中国の電気自動車メーカーへの転職を模索中に大胆に情報を持ち出した。多くのアメリカ人が事件を知り「やっぱりそうだったのか…」と一層、疑念を強めました。

一方で、中国メディアは、男の転職先の小鵬自動車が「男はアップルを離職後、5月初めに当社に就職し、知的財産権を守るという文書に署名した。男が当社に機密性が高い、あるいは違法な状況を示したという記録はない」とコメントしていると伝えています。男の背後に中国企業や政府がいたのかどうか、FBIの資料も何も触れていません。

この事件、このあと7月27日に容疑についての認否を問う審理が裁判所で開かれます。男は中国語の通訳を要請しています。裁判所によりますと、男が罪を認めれば、禁錮10年、25万ドル(約2700万円)の罰金が科される可能性があるということです。

FBIの資料から見えたのは事実のほんの一部の断面です。ただ、それだけでも十分な驚きです。事実は小説よりも奇なり。それを実感しました。

飯田 香織
ロサンゼルス支局記者
飯田 香織
1992年入局
京都局、経済部、
ワシントン支局などをへて
2017年夏からロサンゼルス