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ナイキを創った男
日本企業との意外な関係

世界最大のスポーツメーカー『NIKE』。
今や知らない人はいませんが、この企業がわずか1代で作られ、その創業期(創生期)に多くの日本企業が関係していたこと、ご存じでしたか?
その創業者 フィル・ナイト氏が語る「戦後ニッポン」と、日本の若い世代に残したいコトバとは…。(報道局 副部長 野口修司)

ナイキ本社を訪ねた

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2月のオレゴンは、かつて私が駐在したロンドンのように曇りや雨の日ばかりと聞いていたが、「1週間だけ、不思議と快晴が続く期間があるんだよ」と言ってくれたのは、出迎えてくれたナイキ広報のグレッグ氏だった。晴天に恵まれ、待望のナイキ本社(在 ビーバートン)を訪ねた。

ナイキの共同創業者フィル・ナイト氏が書いた『SHOE DOG』は、創業から株式公開までを描いた、氏の自叙伝的著書だ。

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去年10月の日本語版の発売に前後して一読して以来、ただのサクセスストーリーではない、試行錯誤満載の、異様に人間臭い(笑)物語にひかれ、ぜひ、彼にインタビューしたいと思っていた。「なぜ、日本に行ったのか」「なぜスポーツシューズを」、そして「今の日本に何を思うか」を聞きたくて、だ。

「創業期のナイキが多くの日本企業と関わってきた」話は、意外と知られていない。詳細は著書に譲るが、代表的なものでも、以下のとおりだ。

■オニツカ(現 アシックス)
1962年、ナイト氏は日本に行き、「これだ」と思ったシューズが、オニツカ製。その足で神戸の本社に“飛び込み営業”をかけ、自分は会社経営者だとハッタリをかまし、なんと、オニツカシューズのアメリカ西部13州での販売権を得る。当時の経営トップの鬼塚喜八郎氏が創業時の自身の姿にナイト氏をダブらせたためだ。
その後、商標などをめぐって訴訟合戦、提携解消に至るが、シューズ作りの理念は、今も両社に息づいている。

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■日商岩井(現 双日)
1970年、現地にあった日商岩井ポートランド支店をナイト氏が訪ねたところから関係が始まる(これまた“飛び込み”)。営業担当だった皇(すめらぎ)孝之氏は当時28歳。ナイト氏は32歳。
「アメリカに大きなシューズメーカーはなく、ビジネスになる!」と感じた皇氏が融資・支援を決め、その後、何度となくナイキ社の窮地を救った。
ナイト氏いわく、「彼らがいなかったら、今のナイキはない」。

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さて、ビーバートンの本社である。東京ドーム35個分という広大な敷地には、サッカー場もあればジムもあれば、保育園もあり(2か所も!)、彼らいわく「キャンパス」というのもうなずける。

中心には大きな人工池、周囲を取り囲む大小50を超える建物には、すべてアスリートの名前が冠されている。マイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズ…。1月に完成した最も新しいビルには、セバスチャン・コー(イギリスの元五輪選手、1500メートル金メダリスト)の名前がつけられていた。

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サングラスをして現れたナイト氏

指定された本社内のインタビュー場所に午後2時すぎ、ナイト氏は現れた。長身にサングラス、とても温厚な声だった。この2月で80歳を迎えたという。

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「あれ、サングラス外さないの?」と思いながらインタビューは始まった。まず彼は、自身の本が日本で好調な売れ行きなのがえらくうれしそうだった。

20万部と聞くと、「アメリカでは40万部だから、人口を考えると、日本はすごいね。うれしくなるよ。あの本は日本で始まり、日本の話を中心にしているからね。日本で広く受け入れられているのは、すばらしい」

ーーーなぜ、最初に日本に行ったのか。

「大学の論文で、『もし日本のカメラがドイツのカメラを打ち負かせるなら、日本のアスレチックシューズも、ドイツのアディダスやプーマを打ち負かせられるはずだ』ということを書いていた。そして見つけたのが、オニツカだ」

「大学を出たばかりの自分は、まだ人生で何をしたいのか、はっきりしなかった。でも、アスレチックシューズを売ってまともな暮らしができるなら、それが理想だと確信していた。だから、そのビジネスを、自分や家族を支えられるところまで発展させたかったんだ」

気になっていた「起業の原動力」は、とても純粋なものだった。

その後、オニツカのシューズをアメリカで売る事業を始めるわけだが、地元の銀行からの融資が厳しくなる中、日商岩井との取り引きが命綱となる…。日本企業の当時の姿を、彼はこう語る。

「もちろん、彼ら(日商岩井)がいたから私たちのビジネスはうまく行ったが、日商岩井はいずれにせよ、アグレッシブだった」

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日本企業への“感謝”は今もなお

オニツカ、それに日商岩井など日本の企業との関わりがなければ、今の発展はなかった。前述したように、本社内にはサッカー場からジムまであるのだが、バスケットボールコートを備えた体育館の天井には、ナイキの発展に尽力してくれた人たちの名前が懸垂幕に書き込まれている。

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創業メンバーの名前などと一緒に、皇さん、それに「特に教えを乞うた」という日商岩井の元社長で、のちに日銀総裁も務めた故 速水優さんの2人の日本人の名前があった。実は案内してくれた広報のグレッグ氏も思い出せていなかったが、皇さん宅を訪ねた時に聞いていた私は、真っ先に見つけた。

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日本経済 ビジネスパーソンへのコトバとは…

限られた時間で、いちばん聞きたかったことが、今の日本経済、日本企業、それに日本のビジネスパーソンへの「言葉」だ。

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『SHOE DOG』を読んで私が感じたのが、「昔の日本にこそベンチャー精神、起業家を育てる精神がたっぷりあった」ということだ。失われた20年とも言われるバブル崩壊からの復活は、いまだ道半ば。リスクをとって挑戦を続けたナイト氏の姿勢こそ、今の日本に必要ではないか、と。
その問いを投げかけてみた…。

「日本経済は必ず上向くと思っているし、楽観的だ。日本に素晴らしいビジネスマンやリスクテイカーが、今もいることは間違いない。待っていてください。何なら、5年後に私に会いに来てください。」

5年後には、自分の言っていることが間違っていなかったことが証明されるというのだろうか。柔和ながら、自信に満ちた言いぶりだった。

そして、「日本のビジネスパーソンや若い世代に言葉を」というリクエストに、彼は、笑みとともにこう話した。

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「“The only time you must not fail,is the last time you try.”(決して失敗してはいけないのは、最後の挑戦の時だけだ=最後まで挑戦し続けろ)」

「これは、何十年も忘れない言葉です。かつてのアメリカも、学生としては本当に優秀なのに、リスクを取ることを怖がっていた。最初に失敗することを恐れていた。それを乗り越えてきたのです。その原動力の1つがシリコンバレーだったかもしれない。そして今は多くのリスクテイキングがされている。どんな国も波を越えていくのだと思うし、どんな国にもリスクをとっていく人が必ず必要だ」

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ナイキ本社の敷地には、実は日本庭園がある。桜が植えられ、石灯籠もあり、竹林まである。入り口には、『NISSHO IWAI GARDEN』と…。

ナイト氏が日本企業との関係を大切にしている証だ。そこを、ナイキの社員たちが歩いている。保育士に連れられ大勢の幼児たちが歩いている。そんなに暖かい陽気ではなかったが、何か心が温まる光景で、横の人工池に反射する日ざしに目を細めながら眺めていた。

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ナイト氏へのインタビューの詳しい内容も含め、4月29日(日)『BS1スペシャル』で放送する予定です。

野口修司
報道局 副部長
野口 修司
平成4年入局 政治部、経済部
ロンドン特派員などを経験
この3月までBS1『経済フロントライン』キャスター