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末期がん元社長 最期の選択

「まだ元気なうちに感謝の気持ちを伝えたい」ーー。先月20日、日本経済新聞にある広告が載りました。広告を出したのは、大手機械メーカー「コマツ」の元社長、安崎暁さん(80歳)。

広告には、末期のがんに侵されている安崎さんが、生前葬とも言える「感謝の会」を開くと記されていました。会社が主催して亡くなった経営者の「お別れの会」を開くことがありますが、生前にみずからの企画で会を開くというのは聞いたことがありません。抗がん剤などの治療は受けず、“終活”の道を選んだ安崎さんに話を伺いました。(経済部記者 吉武洋輔/ネットワーク報道部記者 伊賀亮人)

“Quality of Life”を求めて

今月11日、東京都内で開かれた感謝の会。ホテルの宴会場には、コマツの関係者、取引先、さらには徳島県人会や、引退後に本格的に始めたゴルフ仲間など、全国各地からおよそ1000人が集まっていました。

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そこに車いすに乗った安崎さんが現れました。

安崎さんは徳島県出身で、一橋大学を卒業後、昭和36年にコマツに入社しました。主に国際部門を担当し、平成7年に社長に就任したあとは、商品やサービスの品質と信頼性が会社の強みであることを社内に浸透させ、グローバル化を推進。コマツの成長の基盤をつくった人物です。

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安崎暁さん

10月上旬に突然がんが見つかり、手術は不可能という診断を受けたことを新聞広告で公表しました。そして「放射線や抗がん剤による治療は受けない。残された時間は、Quality of Lifeを優先にしたい」と、感謝の会への参加を呼びかけたのです。

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日本経済新聞より

会社を引退してからは「余生3等分主義」で、自分のエネルギー・時間・若干の資産を3分の1ずつ「世のため人のため」「家族のため」「自分のため」に配分してきた。自分のQuality of Lifeはこれだと思ってやってきた。3つめの「自分のために」は、本を読むのが好きなので読書三昧。ゴルフも始めた。私が社長だと知らない、私も相手の出身を知らないという関係で年間100回もやった。ただ、病気になり、ゴルフもできなくなり、Quality of Lifeはいったい何かといまも考えている。健康で歩ければよいのか。がんが治ればよいのか。いまもまだ結論は出ていない。

“ありがとう”を伝えたい

安崎さんの評判は“個性の強い人”。自身でも「特定の親分も子分もつくらず一匹オオカミだった」と話します。

また、アフガニスタンに出張に行くとき、武装勢力に拉致されても身代金は払わなくてよいと言い残して出かけていったという逸話も残っています。

一方で、安崎さんは、人とのつながりを大切にしてきた人だったようです。コマツの建機の部品を製造する下請け会社の経営者は「私のような小さな会社の人間とも上下関係なく付き合ってくれた」と話します。

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金沢市で講演する安崎暁さん(平成14年)

また、大学の弓道部の後輩男性は「OBとして私財を投げ打って道場を建て直してくれたり、後輩思いの腹の太い人だった」と話しています。

感謝の会では、安崎さんによるスピーチも、関係者のあいさつなどもなく、安崎さんはゆっくりと会場をまわり、一人一人と握手をして回っていました。安崎さんは握手をするたびに相手の目を見つめ「ありがとう」「ありがとう」と繰り返していました。

会の最後には、出身地・徳島の阿波踊りが披露され、和やかな雰囲気のなか、会は終わりました。

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会社に頼むと私の希望はあまり関係なしに儀礼風の「しのぶ会」になると思った。死んでから葬式にきてもらうと、自分がその場にいることができないのでピンと来なかった。人生の最終段階になり、皆さんにひと言でも感謝を伝えたいという気持ちが出てきた。顔を知っている人、名前を知っているという人ばかりで、私の人生でめぐり会った人に握手をして「ありがとうございました」と言えたことに非常に満足しています。

“まだ一緒に生きたい” 家族の思い

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抗がん剤や放射線治療をしていない安崎さん。「体はいまも痛い」と言うものの、延命治療は選びませんでした。

この選択について安崎さんは「若い時から人間は寿命は限られていて必要なときに死んでいくという死生観を持っていた。自分の人生よかったなと思って棺おけに入りたいという思いで生きてきたので、いまあまりジタバタするのは個人的な趣味に反する」と話しました。

一方、この選択を、家族はどう思っているのでしょうか。

安崎さんには妻と3人の子ども、5人の孫がいます。家族は胃ろうなどをしないことを決める同意書にサインをしているということです。ただ安崎さんの妻は複雑な心境を抱いていることも明かしました。

子どもたちは「もう年だから本人がそうしたいならいいんじゃないの」という感じです。だけど家内は「まだ頑張れば生きられるんじゃないの」と言って、退院してからは家内が勧める食事療法をしています。特に胆のうは脂っこいものを嫌うようで、がんの進行を少しでも止められるような食事をしている。僕は「もっとうまいもの食わせろ!」と言うんですけど「だめだ」と言われる(笑)。タンパク質は白身の魚と豆腐、鶏のささみと胸肉ぐらい。野菜ジュースはいっぱい飲まされている。ただ、家内は一緒に仲良く海外旅行にも行ってましたし、「まだ一緒に生きたい」と言うので…。一生懸命やってもらっています。

安崎さん夫妻はチェスが趣味で、ここ30年は毎日ふたりでチェスを楽しみ、海外や国内の旅行にもふたりでよく出かけていたということです。「まだ一緒に生きたい」という妻の言葉を口にしたとき、安崎さんは目に涙を浮かべていました。

人それぞれの“終活”

いま、「人生の最期をどう生きるか」「最期を迎える前に何を残すか」といったことを考える“終活”を意識する人が増えていると言われます。

財産整理、お葬式やお墓をどうするのか。万が一のことがあった場合に延命治療はするのか。家族にメッセージを伝える人もいます。

そのなかで、安崎さんのように、人生でお世話になった人に感謝の思いをみずからの口で伝えたいという人も増えていくかもしれません。感謝の会に出席した人たちからは「安崎さんの生きざまが参考になった」「自分は何をしたいか考えてみたい」という声が聞かれました。 安崎さんは最後に、みずからの選択について次のような言葉を残しました。

私の個人の考えを世の中の皆さんにご賛同いただけるとも思っていない。人間の最終段階、“終活”の過ごし方は、年齢、仕事、家庭環境、病気の状態、介護の有無などによって、個人個人で違う。今回は私の好みでやらせてもらいました。

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吉武洋輔
経済部記者
吉武洋輔
平成16年入局
名古屋局をへて経済部
エネルギーや金融業界など取材
現在、自動車業界を担当
伊賀亮人
ネットワーク報道部記者
伊賀亮人
平成18年入局
仙台局 沖縄局を経て
経済部で経済産業省などを取材