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“攻防激化”チーズの事情

7月、大枠合意した日本とEU=ヨーロッパ連合のEPA=経済連携協定。大きな焦点の1つが「チーズ」でした。輸入チーズに日本がかけている関税の撤廃をEUが強く要求。抵抗する日本との間で調整は難航しました。チーズをめぐる激しい攻防の背景を解説します。(経済部 佐藤庸介)

華やかチーズ売り場 主力は欧州産

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東京都内のデパ地下。約90種類が並ぶチーズコーナーでは、カマンベールに代表される比較的高級な、いわゆる「ソフト系」チーズが売れ筋ですが、ゴルゴンゾーラなど青カビが特徴のチーズにも人気があるといいます。

その8割程度は、フランス、イタリア、オランダ、デンマークなどヨーロッパ産。こうしたチーズに日本は29.8%の関税をかけています。現地で1000円のチーズなら、300円ほどの関税がかかる計算です。日本とEUのEPA交渉では、このチーズの関税撤廃をEUは一貫して強く求めましたが、それにはEU側の事情がありました。

EU 苦境の酪農家からの圧力

今回の交渉、関税分野でEUが日本から新たに“勝ち取れる”分野は農産物にほぼ限られていました。というのも、日本は工業製品を中心にすでに多くの品目で関税を撤廃しているからです。

こうした中でEUの最大の目標となったのがチーズでした。EUの対日輸出額は300億円を超えて、今後将来性が見込めるのに、関税が高い品目だったからです。

加えて別の事情もありました。2014年に、ウクライナ情勢の悪化をめぐって、ロシアがEU産農産物の輸入を禁止する中で、2015年にEUが乳製品の原料、生乳の生産量制限を廃止したことがあります。

つまり、EUにとって乳製品の一大市場だったロシアへの輸出ができなくなっているのに、牛乳の生産が増えていたのです。これによってEU域内の酪農家からは激しい不満の声が上がり、EUとしてはなんとかして乳製品の新たな輸出先を確保しなければならない、という政治的な理由もあったのです。

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ヨーロッパ各地の酪農家のデモ(ベルギー 2015年)

国内酪農の事情

一方、関税撤廃を避けたい日本にも事情があります。 まず、日本農業全体の中で、酪農の存在感が高まっていることがあります。コメの比率が低下傾向にある中、国内農業生産に占める酪農の比重は高まっていて、平成26年の農業総産出額では10%を占めるようになっています。

また国内酪農は地域で大きな違いがあるのも特徴です。ご承知のように酪農地帯北海道では、農業全体の3分の1を超える36%を占め、コメや野菜をはるかにしのぎ最大です。また北海道の中でも、特に東部や北部では牧草以外の作物が育ちにくいため、80%以上の農家が酪農を営んでいます。

さらに酪農が盛んな北海道は、構造的に、生産する生乳の多くが乳製品に回っていて、仮に影響が及ぶとなると、地域的には限られる一方、影響を受ける地域では打撃が大きくなる可能性があったのです。

チーズ工場増設の過去

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牛乳の廃棄処理作業(北海道 2006年)

もう1つ、日本側にはチーズをめぐる政策のいきさつもありました。10年余り前に、農林水産省は国産チーズの生産強化を乳業メーカーに要請しました。
当時、牛乳や乳製品の消費が低迷し、生産過剰に悩まされていたからです。

11年前(2006年)には生乳を廃棄する事態にまでなり、過剰な生乳を、将来的な需要が見込めるチーズに多く振り向けようとしたのです。

このため乳業メーカーは、北海道東部に国内最大規模のチーズ工場を相次いで建設。ところがその後、酪農家の離農が進んで、一転して生乳生産は減少。チーズ工場の稼働率も低下し、悩みのタネとなりました。

こうした中でチーズの輸入が増えれば、問題が深刻化しかねないと、EUに簡単に譲歩できなくなっていたのです。

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国内最大規模のチーズ工場(北海道中標津町)

TPPの影響も

さらに、先に合意したTPP=環太平洋パートナーシップ協定との関係も難問でした。TPPで日本は、主にプロセスチーズなどの原料となる、いわゆるハード系のチーズの関税撤廃を受け入れました。

しかし、今回、EUが求めたカマンベールやモッツァレラといったソフト系のチーズでは関税を維持しています。ソフト系は、日本人好みで成長が期待できるため、上記の工場の事情もあって、国内生産を進めたいという狙いからでした。

日本としては、こうした中でEUに譲歩すれば、オーストラリアなどTPP参加国や、TPPから離脱したアメリカから、将来、改めて撤廃を求められかねないと強く警戒したのです。

合意内容は

チーズをめぐっては、双方ともにこうしたさまざまな事情を抱えながらも、最終的には、日本が最も“勝ち取りたかった”EUの乗用車関税の撤廃などの、いわば引き替えになる形で決着しました。

合意内容では、カマンベールやモッツァレラなどのソフト系チーズを含む、いくつかの種類のチーズをまとめて、協定発効から15年かけて、現在のEUからの年間輸入量より約1万トン多い、最大3万1000トン分の関税を撤廃することになりました。

TPPと直接比べられないように、いくつかの種類をひとまとめにして、あくまで“一定の量”に限って関税撤廃するという内容にして、影響の拡大を避ける苦肉の策でした。

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しかし、当面はヨーロッパ産チーズの店頭価格への影響はあまりないというのが、関係者の大方の見方です。協定の発効までには、今後2年程度かかる見通しで、さらに関税の削減ペースも緩やかだからです。

その意味では、直ちに消費者にメリットがあるわけではないが、生産者への大きな打撃も避けられた、とみることができます。

ただ中長期的には、輸入チーズに押され、国産チーズの生産は減るだろうという意見を多く聞きます。このため政府は今後、生産者へのダメージを避けるための対策の検討を急ぐことにしています。

日本のチーズや酪農をどうする?

今回の交渉では、日本が最重視したEUの乗用車関税の撤廃を実現するには、チーズで日本が譲歩しなければならないという構図になりました。

日本にとっての乗用車の重要性は言うまでもありませんが、地域に偏りがあるとは言え、酪農も大事な存在ということも事実です。自由化が進んで交渉の余地が限られてくる中、今後、そのような痛みを伴う部分にどう対処していくか、これまで以上にきめ細かい対応が求められると思います。

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一方、同じ乳製品の中でも、バターや脱脂粉乳は近年、不足が相次ぎ、追加輸入が繰り返されています。原料の生乳の生産不足が要因ですが、実は今回の交渉で、関税は維持されました。

不足がちなのに、関税を維持して輸入しにくい状況を続けるというのは、消費者から見ればチグハグに感じられる方もいると思います。EUの要望の強弱と、チーズとバターや脱脂粉乳それぞれの品目が抱える問題の軽重によって、こうした決着になったのですが、この際に、酪農全体の将来像が十分議論されたのか、というと疑問を持たざるを得ません。

国内で人口減少が見込まれ、人手不足や国内市場の縮小に対する懸念が深刻化する中で、何をどこまで維持するのかは産業全体にとって避けられないテーマです。今回の取材を通じて、農業分野では、ほかに先駆けて問題が顕在化しているだけに、こうしたことを議論していくことが、ますます重要になっていると感じました。

佐藤庸介
経済部
佐藤 庸介 記者
平成13年入局
釧路局をへて経済部
外務省で通商問題などを担当