“ジャックの塔”横浜市開港記念会館 修復終え再び一般公開

大正時代に建てられ「ジャックの塔」の愛称で知られる横浜市開港記念会館が、2年の修復を終えて1日から再び一般に公開されました。

横浜市開港記念会館は、横浜港の開港50年を記念して大正6年に建てられた公会堂で、高さ36メートルの時計塔があり「ジャックの塔」の愛称で呼ばれています。
老朽化のためおととしから行っていた修復工事が終わったことから再び一般公開が始まり、観光客が次々に訪れました。
そしてボランティアガイドに案内されながら大正時代と変わらない講堂のほか、開国を迫ってやってきたペリーの黒船や横浜の開港後に箱根を訪れる外国人の姿などをモチーフにしたステンドグラスを興味深そうに見て回っていました。
名古屋市から家族と訪れた53歳の男性は「偶然、再開の初日に入ることができてよかった。ふだん来られない場所で歴史を感じられました」と話していました。
一般には公開されていませんが、今回の修復工事では地下室のしっくいの壁の下から「BARBERSHOP」という文字が新たに見つかり、戦後アメリカ軍に接収されて映画館になっていた際に理髪店もあったとみられることが分かったということです。
横浜市開港記念会館は、第2水曜日を除く午前10時から午後4時まで無料で公開されています。

「横浜市開港記念会館」は、107年前の1917年、横浜港の開港50年を記念し市民からの寄付を募って建てられた公会堂です。
赤れんが造りの外壁と高さ36メートルの時計塔、ドーム型の屋根などが特徴で、中には大正当時の雰囲気を残した講堂や華やかなステンドグラスが設置されています。
開港記念会館は、横浜の象徴として激動の時代を歩んできました。
建設から6年後の1923年に発生した関東大震災で時計塔と外壁を残して崩落。
1927年に屋根のドームを除いて当初の姿が復元されました。
戦後アメリカ軍に接収され、10年余りに渡って進駐軍の兵士向けの映画館として利用されました。
市に返還されたあとは公会堂として多くの演奏会や講演会が開かれ、市民に親しまれてきました。
1985年に大正時代の設計図が見つかったことから、1989年にはドーム型の屋根も復元されて当時の姿を取り戻し、国の重要文化財に指定されました。
「ジャックの塔」の呼び名は、神奈川県庁、横浜税関と並んで海から目立って見えたため、昭和の初めごろ船員がそれぞれをジャック、キング、クイーンと呼び始めたことが由来だとされています。
これらは横浜三塔と呼ばれ、いまも多くの観光客が訪れる、横浜のシンボルとなっています。

ジャックの塔には訪れる観光客らに歴史や見どころを伝えるボランティアガイド、「ジャックサポーターズ」が100人余り登録されています。
91歳の萩原英さんは16年前に「ジャックサポーターズ」が始まった当初からのメンバーです。
若いころ、当時アメリカ軍に接収されていたジャックの塔の向かいで働いていて、魅力的な建物だなと気になっていたという萩原さん。
ガイドの募集が始まってすぐに申し込んだということで、横浜の歴史を学んだり説明用の資料を手作りしたりと工夫しながら、毎月2回活動してきました。
2年ぶりのガイドとなった1日は、名古屋市から訪れた家族連れを案内し、建物の見どころのほか「アメリカ軍が建物を接収した際、ステンドグラスに星条旗が描かれていたことに感動して建物を大切にしようと思った」といった逸話を紹介していました。
萩原さんは「多くのお客さんに喜んでもらえて楽しかったです。休んでいた間に準備していたことが報われた気がします。一度来てもらえれば歴史的な価値と建物の魅力に納得すると思うので、ぜひ足を運んでほしいです」と話していました。