「ダイヤモンド・プリンセス」集団感染3年で追悼の集い 横浜

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で新型コロナの集団感染が発生してから3年となるのにあわせて、当時の乗客らが船が停泊していたふ頭に集まり、亡くなった人たちを追悼しました。

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」は、3年前の3日、横浜港に入港したあと乗客や乗員の感染が相次いで明らかになり、乗っていた3700人余りのうち、712人が感染し13人が死亡しました。
当時はまだ新型コロナの検査や治療体制が確立していなかったうえ、関係国の責任の所在もあいまいで、乗客が船内に長期間隔離される事態となりました。
3日は、当時の乗客などおよそ20人が、クルーズ船が停泊していた大黒ふ頭に初めて集まり、海に菊の花を投げ入れて、静かに手を合わせ亡くなった人たちを悼みました。
会を主催した札幌市の千田忠さんは「次のパンデミックに備えて新たな感染症にどう対応するか、二度と同じようなことが起きないように国や運航会社にしっかり検証を行うよう訴えていきたい」と話していました。
大阪市の平沢保人さんは「やっと追悼の思いを伝えることができて少しほっとしています」と話していました。
また夫婦で感染した土屋京子さんは「亡くなった方のことを思うとこの場にくることもためらわれましたが、追悼することができて良かったです」と話していました。

神奈川県横須賀市の土屋碩之さん(81)と京子さん(81)夫妻は、ダイヤモンド・プリンセスで新型コロナウイルスに感染しました。
碩之さんは船が横浜港に入る前から発熱して寝込んでいましたが、船内にとどめられ、病院に運ばれたのは、港に着いてから6日後でした。
症状は重く一時は集中治療室で人工心肺装置ECMOを付け、生死の境をさまよいました。
入院は40日に及びました。
碩之さんは「当時はほとんど意識がなかったが、苦しくて、助けて、なんとかしてって言っていたのは覚えています」と話していました。
京子さんも感染して別の病院に入院し、夫婦が再会できたのは1か月後でした。
3年がたった今でも、当時のことを思い出すと涙が止まらなくなるという京子さん。
旅行が趣味で、夫婦で毎年のようにクルーズ船の旅にでかけていましたが、旅行に行くことができなくなりました。
京子さんは「写真をみると当時のことを思い出してつらいので、全部破いて処分しました。何度もフロントに電話をして助けてほしいと頼んだのに、誰も対応してくれず、船内で何が起きているかも分かりませんでした。夫が『苦しい、助けて』と叫んでいるのに、おろおろするだけで何もできなかったです。本当に天国から地獄で、今も当時のことを思い出すと涙が出てきます」と話していました。

国内の港では、ダイヤモンド・プリンセスの集団感染以降、国際クルーズ船の受け入れを停止してきましたが、去年12月から再開しました。
ダイヤモンド・プリンセスも来月の寄港が予定されています。
再開を前に、クルーズ船の業界団体は、日本で運航する国際クルーズ船のためのガイドラインをまとめました。
乗船前に全ての乗客に検査を求めて陰性を確認することや、感染拡大を防ぐために船内のゾーニングを徹底すること。
発熱などの症状が出た場合は、直ちに検査を行って、感染者や濃厚接触者を隔離するとともに、検疫所や関係機関に連絡することなどを定めています。
今週、3年ぶりの国際クルーズを終えて横浜港に帰港した「にっぽん丸」では、48日間のうちにあわせて12人の乗客の感染が確認されました。
すぐに専用の部屋に隔離して寄港先で船を下りてもらい、現地の宿泊施設などで療養してもらうことで、感染拡大を防いだということです。
船を運航する商船三井客船の村上寛常務は「今回のクルーズでは寄港先の国の対策が急に変わって、感染した乗客の療養先の手配に苦労した国もありました。それぞれの国の対策がどんどん変わっているので、その国に応じた対策をしっかりとりながら、お客様にさらに楽しんでもらえるような工夫をしていきたい」と話していました。