岩国工業高校出身 彫刻家 澄川喜一さん 死去

木材を曲線の形に削り出す「そりのあるかたち」という一連の作品で知られ、東京スカイツリーのデザインも監修した、岩国工業高校出身の彫刻家の澄川喜一さんが亡くなりました。
91歳でした。

澄川さんは島根県出身で、現在の岩国工業高校を卒業したあと、東京藝術大学で彫刻を学び、彫刻家として本格的に活動を始めました。
澄川さんは、高校時代に目にした岩国市の国の名勝・錦帯橋が「私の原点」と話していて、山口県庁の前庭のモニュメント、「鷺舞の譜(さぎまいのふ)」の制作を手がけたほか、木材を曲線の形に削り出して組み合わせた「そりのあるかたち」という一連の作品で高い評価を受けました。
その後も、石や金属などを使った抽象彫刻などで数々の賞を受賞して活躍するかたわら、東京藝術大学で後進の指導にあたり、1995年から2001年までは学長も務めました。
また、東京湾アクアラインの川崎人工島「風の塔」や、「東京スカイツリー」のデザインも監修し、こうした功績から、1998年に紫綬褒章、2020年には文化勲章を受章しています。
東京藝術大学によりますと、澄川さんは、ことし4月9日に亡くなったということです。
91歳でした。

岩国工業高校出身の澄川喜一さんが亡くなったことについて、岩国市の福田市長は、「市の名誉市民でもある澄川さんの突然の逝去の報に際し、悲しみにくれています」と心情を明かしました。
そのうえで、「澄川さんが岩国市が誇る錦帯橋を原点とされ、卓越した感性と技術で数々の作品を世に出し文化勲章を受章されたことは市民にとって大きな誇りで、先生の遺志を受け継いで、市の芸術の発展に尽くしていくことがわれわれができることです。改めてお悔やみを申し上げます」と話していました。

山口県の村岡知事は、「驚き信じられない気持ちです。県庁前庭のモニュメントをはじめ各地に多くの作品を手がけられ、山口県の芸術文化の向上と地域文化の振興に多大なご貢献をいただき心から感謝しております。ご生前の輝かしいご功績に限りない感謝の念を捧げ、ご遺族の皆様に深く哀悼の意を表します」と談話を発表しました。

彫刻家の澄川喜一さんは、宇部市で開かれる国際的な野外彫刻の展示会「UBEビエンナーレ」の運営委員も務めてきました。
宇部市の篠崎市長は、「1998年からはUBEビエンナーレの選考委員・運営委員を長年務めていただき、同展の礎を築かれ、育ての親ともいえる大きなご功績を残されました。澄川先生に深く感謝するとともに、ここに謹んで哀悼の意を表します」とコメントを発表しました。