交通安全の黄色い帽子 和歌山から全国へ 資料展示室設置

交通安全のために小学生がかぶる黄色い帽子は昭和30年代に和歌山県で生まれ、全国に普及したとされています。
その歴史などを伝える資料展示室が4月から和歌山市の交通センターに設けられています。

資料展示室が設けられたのは、運転免許の更新手続きなどで多くの人たちが訪れる和歌山市にある和歌山県警察本部の交通センターです。
会場には、交通安全のために小学生が登下校などでかぶる黄色い帽子が展示されています。
この黄色い帽子は、全国の交通事故の死者が現在のおよそ4倍にあたる年間1万人を超えていた昭和30年代に、和歌山西警察署の交通係長だった坂下敏郎さんのアイデアで生まれました。
ドライバーの目に付きやすい黄色い帽子は、その後、全国に普及したとされ、交通事故で亡くなる子どもは減少しました。
坂下さんには、昭和37年7月1日の「国民安全の日」に、当時の池田勇人 総理大臣から表彰状が贈られ、この表彰状も展示されています。
4月の開所式では、香具輝男 警務部長が「これまで主に警察職員向けに展示を行ってきたが、警察の資料を広く県民の方々にご覧いただけるよう、移転することにした。将来にわたって創意工夫した運営に努めてほしい」と訓示していました。
このほか、警察官の制服や手帳などおよそ300点が展示されています。

【警察史に「黄色い帽子普及」の経緯】
和歌山県警察史に黄色い帽子に関する記述があります。
それによりますと、「学童や園児を交通事故から守る一つの施策として、昭和35年4月、和歌山西警察署では、全国で初めて学童や園児に対する『黄色い帽子』の着用を呼びかけた。そして、和歌山市教育委員会や父母らの協力によって、学童や園児は、次第に黄色い帽子を着用するようになった」と普及の経緯が書かれています。
また、「交通課坂下敏郎警部補が西部劇映画のカウボーイの帽子をヒントに考案したものであった。その後、黄色い帽子の着用は、自動車等の運転手からの視認性が高いことから、県下のみならず全国各地へと広がり、交通事故防止に多大の成果をおさめた」として、黄色い帽子だけでなく雨傘やレインコートにも交通事故防止の黄色が取り入れられたことが記載されています。
坂下さんは、黄色い帽子の考案を含む交通安全の向上発展の功績によって、昭和37年7月1日の「国民安全の日」に、当時の池田勇人 総理大臣から表彰されました。
生前の坂下さんを知る和歌山県交通安全協会の西川敏秋 専務理事は「坂下さんは西部劇の映画を見てからすぐ知り合いの子どもや帽子屋さんにも協力してもらって、いろんな色の帽子を子どもに直接かぶらせて試験し、そのうえでやっぱり黄色が一番いいということで、上司に相談して警察署としてそれを広めたようだ」と当時を振り返りました。
そのうえで、「今でも小学生が黄色い帽子をかぶっていて、60数年前にやったことが続いていると感じる。交通安全協会が小学生に配っている横断時に使う旗も黄色にするなど、今では交通安全を象徴する色となっている」と話していました。