四日市公害の慰霊祭 どう語り継ぐか課題に

大気汚染によって多くのぜんそく患者を出した四日市公害で犠牲になった人たちを追悼する慰霊祭が三重県四日市市で開かれました。

4大公害病の1つ、四日市公害は昭和30年代から40年代にかけてコンビナートの工場が排出する有害物質の影響で多くの市民がぜんそくなどの症状に苦しみ、これまでに1123人が亡くなりました。
慰霊祭は患者と遺族などでつくる会が四日市市と合同で毎年、この時期に開いていて、9日、市内の慰霊碑には遺族や関係者など約80人が集まりました。
式ではまず全員で1分間の黙とうを行ったあと、四日市市の森智広市長が「四日市公害の歴史と教訓を踏まえていま脱炭素への取り組みを強化しています。将来に渡り、公害を風化させることなく四日市市の豊かな自然環境を次の世代に伝えていきたい」と述べました。
このあと、1人ずつ献花台に花を手向けて犠牲者を悼んでいました。
四日市公害を巡っては、高齢化に伴って当時を知る人が年々、減少し、次の世代にどう語り継ぐかが課題となっています。
「四日市公害患者と家族の会」の代表で小学4年生の娘を亡くした谷田輝子さん(89歳)は「四日市公害の現実を知っている人は少なくなっていて、私も語り部をやれるだけやりますが年齢もありますので私をつぐような新しい人が出てきてほしい」と話していました。