米子「尾高城跡」発掘調査で石垣の跡など新たに見つかる

戦国大名が攻防を繰り広げた米子市の「尾高城跡」の発掘調査で、当時としては先進的な石垣の跡などが新たに見つかり、米子市が目指す国の史跡指定に向けて重要な資料になるとして注目されます。

「尾高城跡」は、米子市東部の高台に築かれた城の跡で、交通の要所にあることから、戦国時代には尼子氏と毛利氏が争奪戦を繰り広げたことで知られています。
尾高城はこれまで、戦国時代に一般的だった土を盛り上げて築いた城と考えられていましたが、米子市が去年から進めていた民有地の発掘調査で「本丸」と「二の丸」の跡から、当時、先進的な築城技術だった石垣の跡などが新たに確認されたことが、このほど市が開いた歴史講座で報告されました。
米子市は尾高城の国の史跡指定を目指していて、今回の調査結果は、中国地方の城が中世から近世の初頭にかけて、どのように移り変わったかを示す重要な資料になるとしています。
米子市文化振興課の※ハマ野浩美課長補佐は「尾高城は、中世の城から、米子城のような石の城へと橋渡しする役目を持った城だと考えられる。これからの調査で全体像が解明されることに期待している」と話しています。
米子市は、詳しい調査結果をまとめ、ことし秋ごろに発表することにしています。

※ハマは「眉」のハマ