竹島の日本編入を政府に働きかけた実業家を調査 倉吉

島根県の竹島の歴史を調べている研究機関の職員らが、28日、倉吉市を訪れ、明治時代に竹島が日本に編入されるきっかけをつくった中井養三郎などついて調査しました。

中井養三郎は現在の倉吉市出身の実業家で、島根県の竹島でアシカ漁を続けるため、政府に領土への編入を働きかけ、その後、竹島は明治38年に、島根県に編入されました。
28日は、日本国際問題研究所の尾崎壮太郎 研究調整部長など5人が、調査のため倉吉市小鴨地区を訪れました。
5人は、中井養三郎の親族から聞き取り調査をしたほか、▼中井養三郎や、▼甥の画家で竹島に滞在してアシカ猟の写真を撮影したり島の風景を描いたりした中井金三のゆかりの地を視察しました。
研究所などによりますと、養三郎の水産事業は、親類も支援していたことから、竹島が日本の経済圏として明治時代から広く認識されていたことが、今回の調査でも改めて確認できたとしています。
調査にあたった尾崎研究調整部長は「竹島でのアシカ猟をはじめとした中井家の人の活動が実感として感じられた。倉吉での調査でも竹島が日本人と非常につながりが深いことが分かったので、竹島問題に関心を持ってほしい」と話していました。