紫雲丸沈没事故から69年 現場海域を臨む寺で慰霊祭 高松

高松市の沖合で、旧国鉄の連絡船「紫雲丸」が別の連絡船と衝突して沈没し168人が犠牲となった事故から11日で69年となり、高松市内の寺では遺族などが参列して慰霊祭が行われました。

香川県と岡山県を結んでいた旧国鉄の連絡船「紫雲丸」は、69年前の昭和30年5月11日に高松市の沖合で別の連絡船と衝突して沈没、修学旅行中の小学生や中学生を含む168人が犠牲となりました。

この事故は、瀬戸大橋が建設されるきっかけにもなりました。

11日は、事故現場となった海域を臨み、慰霊碑がある高松市の西方寺で慰霊祭が行われ、遺族などおよそ10人が参列し、焼香するなどして亡くなった人を悼みました。

参列者を代表して事故で父親を亡くした岩部吉雄さん(76歳)があいさつし、「夢と希望を持った子どもたちが亡くなったのは遺憾に思う。本当に残念な出来事で絶対にこういう事故があってはならない」と述べました。

事故当時、愛媛県西条市の庄内小学校の児童で、船に乗っていた80歳の女性は「事故の時はたまたま甲板にいて海に落ちた後に助けられました。今回初めて慰霊祭に参列しましたが、来ることができて良かった。亡くなった人には『あなたの分も頑張ります』とお祈りしました」と話していました。

また、同じく乗船していた松江市の川津小学校の児童だった80歳の女性は「船がどしんと揺れて沈むと同時に海に投げ出されました。3回くらい体が海に沈みましたが、浮いた時にいかだで助けてもらいました。この時に手を放すと沈むから必死でいかだに捕まったことは今でも忘れられません」と話していました。