高校野球甲子園 東北勢の優勝への挑戦

夏の全国高校野球で、東北勢は、これまで9回決勝に臨んでいますが、優勝には届いていません。

東北勢は、1915年(大正4年)の第1回大会で、秋田中学、現在の秋田高校が準優勝したものの、その後は決勝にも進めない時代が続き、半世紀あまりがたった1969年(昭和44年)、青森の三沢高校が、太田幸司投手の活躍で東北勢として54年ぶりの決勝進出を果たしました。愛媛の松山商業との試合は、延長18回、史上初めて決勝での引き分け再試合となり、翌日の再試合で敗れました。
2年後の1971年(昭和46年)には、福島の磐城高校が、「小さな大投手」とよばれた身長1メートル65センチのエース、田村隆寿投手の活躍で東北勢として3回目の決勝に進みましたが、優勝はなりませんでした。
平成に入ってからは、1989年(平成元年)に宮城の仙台育英高校、2003年(平成15年)に現在、大リーグで活躍するダルビッシュ有投手がエースだった東北高校の宮城県勢が決勝に進みました。
さらに、東日本大震災が起きた2011年(平成23年)からは青森の光星学院、現在の八戸学院光星高校が、強力打線を持ち味に2年連続で決勝に進み、2015年(平成27年)には仙台育英が2回目の決勝に臨みましたが、いずれも優勝には届きませんでした。
そして、直近では、節目の第100回大会となった2018年(平成30年)に、秋田の金足農業が現在、プロ野球・日本ハムの吉田輝星投手を擁して、秋田県勢として第1回以来、103年ぶりに決勝に進みましたが、東北勢9回目の挑戦でも深紅の大優勝旗を東北に持ち帰ることはできませんでした。
また、センバツでも、2001年(平成13年)に仙台育英が初めて決勝に進み、その後、2009年(平成21年)に、現在、大リーグでプレーする菊池雄星投手がエースとして引っ張った岩手の花巻東高校、2012年(平成24年)に光星学院と、東北勢は合わせて3回、決勝に進みましたが、いずれも準優勝でした。
ことし夏の全国高校野球で通算3回目の決勝に挑む仙台育英が、東北勢の悲願を達成するのか注目されます。