鎮西山の山城発掘調査公開 専門家「城の造成に高い技術力」

平安時代の弓の名手、源為朝の伝説が残る上峰町の鎮西山の山城で、発掘調査の様子が報道関係者に公開されました。
専門家は、城の造成には高い技術力がうかがえるとしています。

鎮西山は平安時代の弓の名手で九州を平定したという伝説を持ち、鎮西八郎と呼ばれた源為朝の拠点とされていて、町の教育委員会は山城跡が残る、標高202メートルの山頂付近で発掘調査を行っています。

19日は、山城の中心部となっている「主郭」や「副郭」で進められている発掘調査の様子が、報道関係者に公開されました。

一帯では、土地を拡張する際の盛り土を崩れにくくするため、高くなった部分の土を階段状に削る手法が使われていて、こうした造成は現代の工事でも行われているということです。

また土が流れ出さないよう土に石材を混ぜる、「土留め」と呼ばれる手法も確認されているということです。

いずれも高い技術力があったことを示していて、発掘調査を指導している佐賀大学の宮武正登教授は「これだけの技術力を持っていたのは大名クラスの有力者だったのではないか」と話しています。

また、町の教育委員会文化課の宗雲英則課長は「鎮西山の山城が高度な技術をもって、どのようにして造られたのかを見てほしいと公開しました」と話していました。

町では今月28、29日の2日間、シンポジウムを開き、発掘調査の成果を発表することにしています。