近江八幡 川の中から前方後円墳か 新たな埴輪の列が見つかる

近江八幡市の川の中で見つかった古墳について、県文化財保護協会が調べたところ、古墳時代中期から後期に作られた前方後円墳とみられることが新たに分かりました。
協会によりますと川の中から古墳が見つかるのは全国的にも珍しいということです。

近江八幡市江頭町を流れる日野川では、5年前の2019年に県が行った調査で川の中から人工的に土を積み上げた跡や、円筒状の埴輪6本が1列に並んだ状態で見つかり、古墳の可能性が高いとされていました。
ここを去年10月から先月にかけて県文化財保護協会が詳しく調べたところ、新たに13本の円筒状の埴輪が1列に並んだ状態で見つかったということです。
5年前に見つかった埴輪と、今回見つかった埴輪はカタカナの「ハ」の字型に並んでいることや、埴輪の焼き方の特徴などから、この古墳は古墳時代中期から後期、5世紀後半から6世紀前半ごろに作られた前方後円墳とみられるということです。
協会によりますと川の近くのもともと陸地だった場所に古墳が作られ、長い年月で川の水位や流れが変わったことで埋もれたと考えられ、川の中から古墳が見つかるのは全国的にも珍しいということです。
県文化財保護協会の重田勉 主幹は「今回の発見は川に沈むなどして消失した遺跡が存在することを物語っている。いまの景色と昔の景色が大きく異なるということを感じてほしい」と話していました。
【“古墳時代のびわ湖の水位は低かった”】
なぜ、川の中から古墳が見つかったのか。
県文化財保護協会によりますと、前方後円墳が作られたとみられる古墳時代、びわ湖の水位は現在よりも低く、そこに流れ込む日野川の水位も低かったり川の流れが今とは違ったりして、古墳の周辺は陸地だったとみられます。
古墳が作られた後に水位が上がって土砂が運ばれてきたり、川の底が上昇したりして、古墳が埋まったとみられています。
その後、川岸に堤防が築かれたことから川の流れは固定されたものの、堤防の内側にある遺跡は土砂がたまったり、流れ出したりを繰り返し、川の水位が下がった際に遺跡が姿を現し、発見されたと考えられます。
京都橘大学の中久保辰夫准教授は「川から前方後円墳が発見されることは極めて珍しい。この古墳は野洲郡と蒲生郡の境界に位置していて、古墳時代の地域の境界を知るうえでも貴重な成果だ」とコメントしています。