安土城の発掘調査 人為的に城を崩す「破城」の可能性明らかに

織田信長が築いた安土城について、滋賀県が去年から行っていた発掘調査の成果が発表され、本能寺の変のあと、人為的に城を崩す「破城(はじょう)」が行われた可能性があることなどが明らかになりました。

安土城は織田信長が天下統一の拠点として築きましたが、本能寺の変のあと焼失したため全体像のわからない「幻の城」ともいわれています。
滋賀県は、20年がかりの大規模な整備事業「令和の大調査」を始めていて、去年10月から安土城が焼け落ちた方向とされる天主の北側部分、315平方メートルの発掘調査を行っていました。
12日に現地で報道関係者への説明会が行われ、天主台に残された石垣の高さがほぼそろっていることなどから本能寺の変のあと、人為的に城を崩す「破城」が行われた可能性があることが分かったということです。
「破城」が行われた時期は分からないということですが、安土城は本能寺の変の3年後に廃城となっていることから、このときに行われた可能性があるということです。
このほか天主のすぐ下の場所で建物の基礎に使われる礎石の列が見つかり、天主とは別の建物があったことも新たに確認されたということです。
滋賀県文化財保護課の岩橋隆浩さんは「今回存在が判明した建物の規模や役割、それに破城が行われたかどうかなどを来年度以降の調査で明らかにしていきたい」と話していました。

【人為的な破壊とみられる形跡を確認】
考古学が専門で大阪府文化財センターの坂井秀弥理事長は、「破城」が行われた可能性があることについて、「石垣はある一定の高さで並んでいて、自然に壊れたのではなく、人為的に破壊したとみられる形跡が確認された。『破城』の痕跡はこれまで安土城では見つかっておらず、いつ行われ、どの範囲に及んでいるのか、今後気になるところだ」と話しています。
また、天主のすぐ下で確認された別の建物については、「天主に近い場所で柱と柱の間隔が長いことから建物の規模も大きいとみられ、かなり重要な機能を持った建物ではないかと思われる。礎石には焼けた痕跡があるので天主が焼け落ちた際にこの建物も焼けたことが分かる」としています。
今後について、「安土城は近世のモデルになった城でどういう形であったかは大変重要で、燃えさかる天主の姿が思い浮かべられるような手がかりが見つかればと、来年度以降の調査にも期待している」と話していました。