沖縄戦79年 “戦跡の活用の見直しを”

沖縄戦当時、旧日本軍の野戦病院として使われた南風原町にある陸軍病院壕。17年前に戦争遺跡として公開され、平和学習の場にもなっていますがもっと活用できるのではないかという指摘も出ています。模索する動きを、西銘むつみ記者が取材しました。

沖縄戦で住民の4割以上が命を落とした南風原町です。
住宅の塀に残る弾痕は、激しい戦闘をいまに伝えています。

町内の高台にある緑地帯、黄金森です。ここには旧日本軍の野戦病院、沖縄陸軍病院の壕がおよそ30か所、造られました。

この「沖縄陸軍病院南風原壕」の中で、唯一、公開されているのが、20号と呼ばれる壕です。

学芸員の保久盛陽さんに(34歳)案内してもらいました。

(保久盛陽さん)
「発掘調査をした際に出てきた医薬品類の一部をこちらに展示しています」

病院壕では軍医や看護婦、衛生兵、それに、ひめゆり学徒隊が、戦場から運ばれてくる負傷兵の看護にあたりました。

(保久盛陽さん)
「ちょうど私たちがいるこの十字路から出口側ですね。向こう側を下っていくところが患者の病室として使ってた。真っ黒になっているものは、恐らくの米軍の火炎放射器、全面が真っ黒になってますので攻撃のすさまじさがよく分かるのではないかなと思います」

黄金森に点在するおよそ30の病院壕。1990年、町は、その一部を文化財に指定しました。

第2次世界大戦の戦争遺跡を自治体が文化財に指定したのは全国でも初めてのことで、注目を集めました。

文化財指定から17年。緻密な調査や発掘を経て、ようやく病院壕の1つ、20号が公開されたのです。

南風原町は病院壕の近くに展示施設を建設。壕の説明や内部の再現を通して沖縄戦の記憶の継承に力を入れてきました。

いま、病院壕が公開に至るまでの取り組みを紹介する展示会が開かれています。

当時のことを語れる人が激減している中、保久盛さんは、戦争遺跡が持つ重みと向き合い、その活用方法を地域の人たちと見つめ直そうと考えたのです。

(保久盛陽さん)
「現場で調査して体験者からも聞いて、調査の内容と証言をきちんと検証していくという、すり合わせていくという、積み上げていくということを本当にみっちりとやっている時代ですよね。それがやっぱり今はもう難しくなる。より、そういう意味ではきちんとやっぱり考古学的な調査の積み上げと、今まであった体験談をきちんと整理していくという、僕はもう将来、必要になると思います」

(保久盛陽さん)
「本日は当シンポジウム『沖縄陸軍病院南風原壕のこれから』にご参加いただき誠にありがとうございます。よろしくお願いします」

さらに、保久盛さんは同僚と戦争遺跡の専門家などを招きシンポジウムを企画。

戦争遺跡の第一人者の吉浜忍さんは、文化財指定という先進的な取り組みをした南風原町だからこそ、もっと踏み込んだ対応をしてほしいと呼びかけました。

(吉浜忍さん)
「南風原の平和行政は停滞しているんじゃないか、ダイナミック性がない。まず案内板の設置、壕と壕を結ぶ遊歩道の整備、たこつぼ壕跡の整備。黄金森は、皆さんお分かりですよね、壕だけじゃないんだよ、黄金森全体をどう活用するか」

20号の発掘調査を行った専門家は、壕内の堆積物など考古学の視点から調査することで体験者の証言を科学的に裏付けられるとして、今後、ほかの壕の調査が進むことに期待を寄せました。

(池田榮史 元南風原町文化財保護委員)
「考古学的な発掘をやれば、壕を作る時の情報、使っていた時の情報、廃棄した時の情報、そして戦後の時間の経過の中で埋まっていくプロセスというのが全部、分かることになります」

戦争遺跡に関心を持ってもらうため、史跡や観光と組み合わせて案内する千葉県館山市と地元のNPO法人の取り組みも、先進事例として紹介されました。

NPOの共同代表、池田恵美子さんは市内に南風原町と同様に旧日本軍の壕、「赤山地下壕」があると説明。

さらに、江戸時代の長編小説「南総里見八犬伝」のゆかりの地で、多くの城跡があることを示しました。

(NPO法人 池田恵美子共同代表)
「(館山市は)南総里見八犬伝のモデルになる大名、里見氏が170年にわたって治めていました。そして、多くの城跡があります。狭い半島の先端部に城跡群と戦跡群が重層的に重なっていることが、だいご味といえます。市の構想は赤山地下壕を核として、関連史跡や観光施設などをネットワーク化し、そして、3つのエリアをつないで滞在型の観光を目指すというものです」

保久盛さんはいま、館山市のように、南風原町も地域にあるさまざまな資源を結びつけることで、沖縄戦について関心を高めてもらうことができないかと考えています。

(保久盛陽さん)
「戦争遺跡という1つの内容だけですると、注目する人や知りたい人はどうしても限られてくる。黄金森も実はやっぱり虫とりに来る子どもたちがたくさんいるし、お散歩する方々もたくさんいるというところで、さらに今でも、お祈り、拝所として機能している使われている場所もありますので、そうした、いろいろな地域の暮らしとか自然だったりって事もうまく組み合わせると、裾野を広げることができるということはあるのかなと思う」

【取材後記】
暮らしの中にある戦争遺跡に気づいてもらうことで、沖縄戦を遠い過去の出来事で終わらせないようにしたいという保久盛さんたちの取り組み、大切な視点だと感じました。