太平洋戦争中に宮古島から疎開した子どもたちの暮らしの展示会

太平洋戦争中の80年前、宮古島から宮崎県に疎開した子どもたちの暮らしを知ってもらおうという展示会が宮古島市で開かれています。

80年前、宮古島からは、およそ80人の子どもたちが現在の宮崎県小林市に疎開していて、宮古島市総合博物館は、戦前から戦後にかけての子どもたちの暮らしを知ってもらおうと展示会を開いています。

展示会では、宮古島で防空ごう掘りや飛行場の建設が始まって戦争が徐々に生活の中に入り込んでいったことや、親元を離れて宮崎に疎開すると経験したことのない寒さに震え上がり、戦況が厳しさを増すにつれて配給が減りひもじい思いをしたことなどが紹介されています。

また、九州へ向かう途中にアメリカ軍に攻撃され、1484人が犠牲になった対馬丸事件の4日前に、およそ20人が宮古島の港を出航したことから「疎開児童が遭難したという噂が伝わった」といった証言も展示されています。

展示会を企画した宮古島市総合博物館の寺崎香織さんは「遠いいつかの誰かが経験したことではなく、自分たちが体験することかもしれないと思いながら見てほしい」と話していました。

この展示会は、今月30日まで開かれています。