首里城の司令部壕調査 中枢部につながる出入り口を発見

県は、沖縄戦の際に日本軍が首里城の地下に造った司令部壕の調査で、これまで確認されていなかった中枢部につながる出入り口を発見したと発表しました。
当時のことを証言できる人が少なくなる中、沖縄戦の体験者からはこうした戦跡を「物言わぬ語り部」として活用してほしいという声も強まっています。

県は、1945年の沖縄戦の際に日本軍の第32軍が首里城の地下に造った司令部壕の保存と公開に向けて取り組んでいて、23日昨年度の調査結果を公表しました。

それによりますと、首里城の入り口付近にあり、世界文化遺産に登録されている園比屋武御嶽石門近くの地表からおよそ4メートルの地中で、「第1坑口」と呼ばれる作戦室などがあったとされる中枢部につながる出入り口を発見したということです。

この出入り口は、アメリカ軍や県、那覇市がこれまでに行った調査では確認されていませんでした。

1945年5月末南下してきたアメリカ軍に包囲された第32軍は、司令部壕を放棄して多くの住民が避難していた沖縄本島南部へ撤退することを決め、このことが県民の4人に1人が犠牲となる悲劇につながりました。

沖縄戦から79年がたち、当時のことを証言できる人が少なくなる中、体験者からはこうした戦跡を「物言わぬ語り部」として活用してほしいという声も強まっています。

県は今後、沖縄戦を伝え残すため、令和8年度に第1坑口を公開することを目指しています。

また、過去に県が調査し暫定的に整備している「第5坑口」についても、当時の位置を確かめるため入り口付近で同様の調査を行ったところ、地表からおよそ1.5メートルから2メートルの深さに、当時使用されていたと考えられるトロッコのレールが見つかったということです。

県は、第5坑口については、来年度の公開を目指しています。