41歳のプロデビュー たどりついたリング


41歳という年齢でプロデビューを果たした、ある格闘家がいます。逆境を乗り越え夢の舞台に立った、その挑戦を追いました

(沖縄放送局 木村祥太カメラマン)

名護市で格闘技ジムを経営する小生隆弘さん41歳。格闘家で妻の由紀さんと共に幅広い世代の人たちに指導しています。
(小生さん)
「(格闘技が)単純に好きなのかなと思いますけどね。本当においしい食べ物を食べているような」
福島県出身の小生さん。中学生でレスリングを始め、高校時代には県代表として国体に出場しました。高校卒業後、総合格闘技の道へ。より高いレベルの練習環境を求めて上京します。夜の練習時間を確保するため、正社員の仕事を辞めて格闘技に没頭する日々を送りました。
(小生さん)
「プロになって世界チャンピオンになってというのが、目標になったというか生きる目標になった」
その矢先、アマチュアのデビュー戦を直前に控えた、24歳の時でした。試合を前に受けた検査で脳に病気があることが分かりました。「くも膜のう胞」という先天性の病気で、医者からは競技を続けるのは危険だと告げられました。
(小生さん)
「“えっ”てなって“何を言っているのかな”と。“自分プロになりたくてやっているんです。仕事もやめたんです”と泣きながら(医師に)言いました。目の前が真っ暗でしたね」
突如として閉ざされた、プロへの道。小生さんは兄が住む沖縄に移住し、農業を手伝いながら格闘技とは距離を置く生活を始めました。それでも、グローブは捨てられませんでした。
(小生さん)
「未練かもしれないですね。未練があって、捨てるに捨てられないで」
そんな小生さんが、再び格闘技に関わるきっかけとなったのが、ある人との再会でした。かつて東京のジムで指導を受けた松根良太さんです。総合格闘技に転向したばかりの小生さんに、一から技を教えたのが松根さんでした。
(松根さん)
「レスリングベースで強い子だなと。これから強くなるかなと思った時に病気のことを聞きました」
格闘技への思いを捨てきれない小生さんに選手以外にも競技に関わる道はあるとアドバイスしました。
(松根さん)
「おそらく心のどこかに穴がありながらも人生を続けていたと思うんですけど、新たな道としてレフェリーや裏方でもいいんじゃないかと提案しました」
背中を押され、再び格闘技に向き合った小生さん。選手を育成するかたわら、レフェリーとしてリングに立つようになりました。そんな小生さんに、去年、驚がくの事実が判明します。脳の検査で、17年前に見つかった異常がなくなっていることがわかったのです。
(妻の由紀さん)
「通話しながら“えっ”となって。涙が止まらなくなっちゃって。今までずっと我慢していたものを」
(小生さん)
「(医者に)止める理由はないよっと言われて、本当にすっと自分の中で、“やるんだな俺。総合格闘技まだやるんだな”というのが
1番最初に浮かんだ」
再び、リングへ。17年越しの舞台に挑戦することを決めました。
選手としてのブランクに加え、年齢による衰え。そして、過酷な減量。支えたのが、妻の由紀さんでした。食事面でも全面的にサポートします。汗をかくため、苦手なおかゆも、好きな味付けでふるまいます。
(小生さん)
「自分1人でやってたら市販のものを買ってきて終わりだと思うんですよ。ありがたいですね」
(由紀さん)。
「ずっと後ろからいろんな人を支えてきていたので。今度は自分が
1番前に立つ時なので、そこは本当に全力で楽しんでほしい」
(小生さん)
「本当に周りに恵まれているなという感じですね。自分はもう大丈夫だから、もうこうやってやれるようになったよというのは見せたいなと思いますね。絶対に勝つつもりでやります」
試合の日、ジムの子どもたちも応援に駆けつけました。41歳でたどりついた、プロのリング。相手は19歳です。由紀さんと松根さんもセコンドから檄をとばします。直前の練習でろっ骨を痛めたため、得意の寝技ではなく打撃で攻め続け、勝利をつかみとりました。試合後、観衆を前に小生さんはこう、自己紹介しました。「プロシューターの小生隆弘です」
(小生さん)
「17年越しのデビュー戦、プロデビュー戦、何とか勝ててよかったです。本当にやめないで良かったなと。辛かったことばかりだったので、正直。プロの舞台に立ってやれるなんて思ってもみなかったので、ちょっと出来すぎかなと思いますけど。周りの人に伝え切れないですけど、ありきたりですけど、ありがとうしか言えない。声を大にしてありがとうございます、ですね」###