池袋暴走事故から5年 遺族の思いは

【池袋暴走事故から5年】
東京・池袋で高齢ドライバーの車が暴走し、那覇市出身の母親と幼い娘が死亡した事故から4月19日で5年です。遺族が現場を訪れ亡くなった2人を悼むとともに、交通事故防止への思いを訴えました。

5年前の4月19日、東京・池袋で高齢ドライバーが運転する車が暴走して歩行者などを次々にはね、自転車に乗っていた那覇市出身の松永真菜さん(31)と長女の莉子ちゃん(3)が亡くなりました。

事故から5年となる19日、亡くなった真菜さんの夫・松永拓也さんと父親の上原義教さんが現場近くの公園に設けられた慰霊碑を訪れ、事故が発生した時刻に合わせ黙とうをささげました。

(松永拓也さん)
「被害者になっても加害者になっても交通事故というのは誰も幸せにならない。事故だから仕方ないではなくて誰しもが加害者にも被害者にもならないようにどうすればいいのかということをぜひ私を含め社会全体で考えていただきたい。それが真菜と莉子の命を無駄にしないことだと私は思っているので」

(上原義教さん)
「真菜を抱きしめたいし、莉子も抱きしめたい。真菜と莉子はいつも私と一緒にいてくれるので沖縄だから東京だからということじゃなくて、空を見上げたら彼女たちの笑顔が浮かんでくる」

慰霊碑に多くの人が花を手向けていました。4月16日、真菜さんの父親の上原義教さんは孫の莉子ちゃんとよく遊びに来ていた那覇市内の公園を訪れました。

事故が無ければ莉子ちゃんは8歳になり弟や妹がいたかもしれないと、ふと考えてしまうことがあるといいます。

(上原義教さん)
「正直なところまだ夢だったらありがたいなって思って、夢なのかなって思うところもある。まだつらさの方が大きいね。今は何歳になって、ひょっとしたら今ごろ弟か妹もいたんだろうなって。沖縄に来てね、下の子ほしいって名前まで決めていたんですよ」

娘と孫を突然失った喪失感や深い悲しみで気持ちが前に進まない時が多いという上原さん。その一方で2人の存在に突き動かされる自分がいるといいます。去年からみずからの体験や思いを公の場で語り始めました。

(上原義教さん)
「悲しみ、苦しみ、辛さ。そのなかにあっても、こう励ましてくれるひとがいる。寄り添ってくれる人がいる。そうすると少しずつ元気に、私もそのように元気になって。多くの人に支えられました」

その後も、講演活動を続けています。

(上原義教さん)
「語ることによって、自分自身で語りかけているような感じになるので。少しずつ解放されるというか、最初は話すのも嫌で大変だったんだけど話すことによって少しね、自分自身が前を向けるそういうことはありますね。自分と同じように苦しんでいる方もいるのであれば、少しでも役に立てられたらなと思って」

事故を1件でも減らせるように真菜さんの夫の拓也さんとともに交通安全を呼びかけていきたいと考えています。

(上原義教さん)
「ひょっとしたら人の命を奪ってしまうかもしれない。そういうことを思いながら運転してほしい。現実に苦しんでいる人もいっぱいいるわけだから。拓也はいろいろなことをよく知っていて勉強もするので、彼を見習いながらというか、自分が思っていることを素直に語ることができれば。運転免許を持っている方々がそういうことにもうちょっと真剣に目を向けてくれればいいかなと思います」

(原アナウンサー)
ここからは取材を続けている上地記者とお伝えします。父親の上原さんですが、「空を見上げると姿が浮かんでくる」とおっしゃっていましたよね。それでもなお講演活動を続けているということですが、どのような心境なのでしょうか。

(上地記者)
上原さんは、真菜さんと莉子ちゃんを失った悲しみやつらさは時間がたてば薄まるものではないと話していました。話をすることさえ大変だと感じていますが、それでも自分が話すことで事故を少しでも減らしたいという強い気持ちがあります。機会があれば多くの人と交通安全への思いを共有したいと話しています。

(宮城キャスター)
この5年の間に事故に関する裁判も終わりました。新たな動きがあったそうですね。

(上地記者)
松永さんは3月、遺族の心情を加害者に伝える新たな制度を利用して、事故を起こした92歳の受刑者とやりとりを始めました。
松永さんは、「つらい気持ちもあるが、被害者と加害者の立場をこえて対話を重ねることで、加害者としての経験や後悔を事故を減らすための社会の財産にしてほしい」と話していました。
また、上原さんも受刑者との面会を望んでいます。
これからも取材を続けていきたいと思います。