アメリカ軍基地返還の“現在地” 

【米軍基地返還の“現在地”】
28年前の1996年4月12日、アメリカ軍普天間基地の返還などに、日米両政府が合意しました。しかし、名護市辺野古への移設をめぐる県と政府の対立は解消されず、今も日々、普天間基地から軍用機が飛び立っています。基地の整理・縮小はどこまで進んでいるのでしょうか、現在地を見つめます。

【基地返還の推移】
県によりますと、沖縄が本土に復帰した1972年当時、県内のアメリカ軍専用施設は87か所、面積は2万8600ヘクタールあまりで全国の施設の面積のうち沖縄が58.7%を占めていました。

その後、徐々に返還が進む中、1995年、基地問題が大きく動き出します。アメリカ兵による暴行事件をきっかけに過重な基地負担に対する県民の怒りが頂点に達しました。

翌1996年4月12日、日米両政府は、普天間基地を5年から7年以内に全面返還すると発表しました。その後、沖縄の基地負担軽減を話し合うSACO=沖縄に関する特別行動委員会が、県内にある11か所の施設、およそ5000ヘクタールを返還するという報告をまとめ、日米両政府が承認しました。このうち、北部訓練場の半分以上や読谷補助飛行場など6か所が返還されました。その面積はおよそ4850ヘクタール。しかし30年近くたった今も、普天間基地をはじめ那覇軍港や牧港補給地区など5か所は返還に至っていません。

17年後の2013年4月、日米両政府は、SACOで返還が決まった普天間基地など嘉手納基地より南にあるアメリカ軍専用施設や区域、1050ヘクタール以上の返還を段階的に進めることで合意しました。それから11年、防衛省によりますと、これまでに返還されたのは西普天間住宅地区など73.1ヘクタールで、計画全体に占める割合はおよそ7%にとどまっています。

【ロウワー・プラザ住宅地区】
返還予定の施設の1つ、沖縄市と北中城村にまたがるキャンプ瑞慶覧の「ロウワー・プラザ住宅地区」(23ヘクタール)です。2024年度以降に返還される予定で、3月末から、日米両政府の共同使用が始まり、緑地広場として一般に利用できるようになりましたなぜ、返還前に利用できるようになったのか。沖縄防衛局の幹部は、地権者や自治体の担当者に返還後の跡地利用をイメージしてもらうためだと話しています。

(沖縄防衛局 森広企画部長)
「返還が終わった後に重要なのは、まさに跡地利用だと思っています。どうやって活用しようというのを見て感じて検討してもらう」

一方、具体的な返還時期は決まっていません。

(沖縄防衛局 森広企画部長)
「返還の可能時期について沖縄統合計画の中では、2024年度またはその後に返還可能とされています。まさにこの返還条件、アメリカ軍の家族住宅を瑞慶覧内に移設することを達成できるよう家族住宅の建設に必要な工事等を進めているところです」

返還の条件は、地区にあった住宅102戸の移設。移設先の北中城村のアメリカ軍基地では造成工事が行われていました。現場で見つかった古い墓の調査などを理由に、防衛局は具体的な返還期日を示していません。

この地区に土地を持つ人たちは現状をどう見ているのか。地権者会の吉村正夫会長(61)です。

(吉村会長)
「地権者にとっても土地が返ってくるというのは、もちろん軍用地料が入ってこなくなる問題はあるけどもそれはいいことなんだと思っています。代替施設がないと返らない返還されないというのが基本にあるので、返還スケジュールが決まらないというのは、われわれの跡地利用計画を立てるにしろ地権者の合意形成をするにしろですね、なかなか気持ちが上がっていかない」

2010年に返還された、隣接するライカム地区は今、ショッピングセンターなどが建設され多くの人でにぎわっています。ロウワー地区の跡地にも商業施設や病院などの整備を検討しているという地権者たち。吉村会長はライカム地区と連動して発展させていきたいと考えています。

(吉村会長)
「ライカム地区にですね、大きな施設をつくってそれなりにうまくいって、僕は隣接しているロウワー地区が返還されることによってライカム地区とシナジー効果を持ったんですね跡地事業計画を立てていきたいというふうには考えています」

【普天間基地の移設工事が続く】
普天間基地の移設先になっている名護市辺野古沖では、きょう(12日)も工事が続けられていました。この工事の完了が返還の前提とされています。代替施設として提供されるのはおよそ12年後だとする日本政府。それまでの間、「世界一危険な基地」とも言われる普天間基地は市街地の中心部に存在し続けます。

本土復帰の時と比べ現在のアメリカ軍専用施設の数は3割ほどの33か所になり、面積も1万ヘクタールあまり減少しておよそ1万8700ヘクタールとなっています。それでも全国のアメリカ軍専用施設のおよそ7割が置かれていることになり、沖縄に基地が集中する状況は変わっていません。

沖縄の基地政策に詳しい東京工業大学の川名教授です。返還をめぐる県民の受け止めについて、次のように分析しています。

(川名教授)
「沖縄の人々の基地に対するですね、不満感の原因はですね、日本本土と比較したときに、どうして米軍の専用施設がですね沖縄に現時点でも70%近くあるわけですけれども、そうした状況が続いているのかというところにありますので、この人々の認識のレベルではですねなかなかこの返還というものが実感されるに至ってないとそういうことなんだろうというふうに思ってます」

そのうえで川名教授は、基地の整理・縮小がどれだけ進むのか、それを見極めるためにはアメリカ側の認識を知る必要があると指摘しています。

(川名教授)
「我々はその返還という言葉でこの問題を理解しようとしますが、彼らはですねあくまでも「リアライメント」だというふうに言っているわけです。正しい場所にですね、並べ直すってそういう意味なんです。ですから我々は、何となく断捨離するようなイメージでこの問題を見てますけれども、むしろ模様替えに近いです。あくまでもアメリカからするとこれ必要なものだというふうに考えていますので、代わりのものが届くまでは現在のものを手放さないとこういう発想になっています。そのアメリカ側の認識をしっかりと理解することが必要だと思います」。

(原アナ)
ここからは取材にあたっている基地担当の宮原啓輔記者です。基地返還について専門家が「断捨離ではなく、模様替え」と指摘していました。あらためて、アメリカ軍はどういった考えなんでしょうか。

(宮原記者)
取材した川名教授は、そもそも軍というのは極めて保守的でリスク回避的に対応すると話していました。つまり、代替施設が出来上がらなければ返還はないということです。普天間基地の返還も辺野古移設を条件にしています。アメリカ軍の幹部に移設工事が完了したあとも軍事的な立場としては普天間基地を持ち続けたいか尋ねたところ、イエスかノーかと言えばイエスだと聞きました。川奈教授も指摘していましたがアメリカ側の思惑をさらに取材する必要があると感じています。

(原アナ)
沖縄の人たちが望む基地の整理・縮小を進めていくためにはどうすればいいのでしょうか。

(宮原記者)
これまで基地問題を取材する中で、地元の人からは返還までに時間がかかることや安全保障の環境が変わっている中で整理縮小はなかなか進むことはないと諦めに近い声を聞くことがありました。
しかし、これまで県内では地元の声が読谷補助飛行場の返還に向けた大きな力となったほか、県外でも施設の返還を地元が求めて実現した例もあります。私が沖縄に赴任して丸5年です。アメリカ軍に関連する事件や事故をたびたび取材してきました。また、現在は沖縄市に暮らし軍用機の騒音被害を実感する毎日です。政府には沖縄が置かれた現状と向き合い、人々の声にもっと耳を傾け、基地負担の軽減に向けた努力がいっそう求められると思います。