沖縄戦 米軍の本島上陸から79年 読谷村では住民が黙とう

79年前の1日、太平洋戦争末期の沖縄戦でアメリカ軍が沖縄本島に上陸しました。
上陸地の1つ、読谷村では住民が亡くなった人たちに黙とうをささげました。

79年前の昭和20年4月1日、アメリカ軍は読谷村から北谷町にかけての沖縄本島の西海岸に上陸を開始し3か月にわたる激戦で20万人を超える人が犠牲となり県民の4人に1人が命を落としました。

読谷村では毎年4月1日に村内の防災無線で亡くなった人たちへの追悼を呼びかけていて、1日は、石嶺傳實村長が、「4月1日という日を忘れることのないよう、戦争が二度と繰り返されないことを願って黙とうをささげましょう」と述べました。

このあと、沖縄戦の悲しみや平和を祈るメッセージが込められた『サトウキビ畑』が流れる中、1分間の黙とうを捧げました。

沖縄戦で父親といとこを亡くした読谷村の比嘉弘さん(95)は「上陸の日、アメリカ軍の船が海にたくさん来て多くの飛行機が飛んでいるのを見ました。孫や子どもが平和に暮らせる世の中が続いてほしいです」と話していました。

沖縄本島中部の読谷村の楚辺自治会は、沖縄戦の記憶を継承していこうと初めて地区の広報誌にアメリカ軍の上陸について記載し、1日、住民に配布しました。

アメリカ軍の上陸地の1つ、読谷村の楚辺地区の自治会は毎月、地元の子どもたちの活動や地域の行事などの情報を記載した広報誌を発行しています。

ことしで沖縄戦から79年となり自治会は戦争の記憶を継承していこうと、今月号の広報誌に初めてアメリカ軍の上陸について記し、役員などが1日朝から住宅を1軒1軒回って配布しました。

広報誌には上陸後、今はアメリカ陸軍の施設、トリイステーションの中にある「楚辺クラガー」と呼ばれる洞窟内に避難していた住民が入水自殺に追い込まれたことなどが書かれています。

上地徹楚辺自治会長は「4月1日は楚辺地区にとってとても大事な日です。この日のことを忘れないためにことしから、広報誌に記載を始めました。しっかり子どもたちに平和の思いをつないでいきたいです」と話していました。