沖縄戦と北海道兵士 取材した夫の足跡辿る女性が感じたのは
沖縄戦では、北海道から多くの兵士が派遣され、県出身者以外では最も多い1万人あまりが命を落としました。その北海道の元兵士たちの証言をまとめた本を出版した女性が、沖縄を訪れています。沖縄で何を感じたのか、取材しました。
(沖縄放送局 義村聡志アナウンサー・旭川放送局 山口琉歌記者)
【夫はなぜ沖縄戦を書き続けたか】
北海道月形町の清水藤子さん(78)は、去年12月、沖縄戦に北海道から派遣された元兵士などの証言をまとめた本『あゝ沖縄』を出版しました。証言を集めたのは2006年に亡くなった夫の幸一さん。北海道の地元紙の記者として、267回にわたる連載を続けました。
なぜ沖縄戦について書き続けたのか。夫が通った沖縄でその理由を知りたいと考えています。
(清水藤子さん)
「夫が歩いた取材の跡ですね。いろいろな戦跡とか会った人とか場所とか。それを私も見てみたいと思ったんです。どこでどんなことを考えたのか。『あゝ沖縄』にどんな思いを込めたのか」
【唯一の沖縄県民の証言】
清水さんは沖縄市の冨里隆也さん(83)を訪ねました。おじの冨里誠輝さんは、夫の記事の中で、沖縄県民の証言としてただ1人、取り上げられていました。
戦後、沖縄市の助役も務めた冨里誠輝さん。沖縄戦のときは、教員をしていました。
その証言に出てくるのは戦争に巻き込まれた民間人です。同僚の教員と壕から壕へ避難する様子や、敵に見つかるからと泣く子を叱りつける父親、それに大けがをした女性のことなどが書かれています。
清水さんは、冨里誠輝さんが沖縄戦にどのような思いを持っていたか尋ねましたが、家族には語ることがなかったということでした。
(冨里隆也さん)
「戦争の話はほとんどしなかったですね。私も全然記憶にないです、聞いた覚えがないですね」
一方、冨里誠輝さんと同僚だった親友が健在だということが分かりました。
(冨里隆也さん)
「山城さんもコザ中学校、沖縄市の出身だと思います。だから同じコザ中学校で同じ教員同士。私たちは子どもだから、家族にはあまり話をしないけれども、学校とかそういうところでは話していたと思いますよ」
【「軍人だけの戦争ではない」】
清水さんは、紹介された山城清輝さん(100)を訪ねました。「冨里さんが伝えたかったことは何でしょう」と清水さんが尋ねると…。
(山城清輝さん)
「本人もあっちこっち逃げ回って、相当苦労したからね。その苦労をこれからの若い人たちに伝えたいと思ったんじゃないかな。戦争の恐ろしさをね。むごたらしさを伝えたかったと思う」
山城さんは大切に保管している古びた1冊のアルバムを取り出して、自身の家族についても話しました。
母親は砲弾が飛び交う中、兵士として県外にいた山城さんの身代わりに、このアルバムを抱え逃げ回ったといいます。
(山城清輝さん)
「戦争で避難しながら大事に持ってきて保管してくれた。本当にありがたいと思っている。若い人たちは戦争は兵隊がやるものだと思っているんじゃないかな。戦争は軍人だけの戦争ではない。戦争のむごたらしさを知っている人もだんだん少なくなってね」
【いまにもつながる戦争の悲惨さ】
清水さんが沖縄で実感したのは、民間人を巻き込む戦争の悲惨さです。そして、世界各地で同じ被害が繰り返される中、夫が伝えたかったことはいまの時代にもつながっていると考えています。
(清水藤子さん)
「大変な思いをするのは戦争の指導者とか国家の偉い人ではなくて普通の庶民が、それもただ兵士ばかりではなくて、戦場になったところは、そこの土地の人がみんな巻き込まれる。ガザとかウクライナの出来事は、他の日本から遠く離れた世界の出来事ではなくて、今でもどうかすると何かを間違えると起こり得るかもしれないことではないかと思います」