沖縄戦の体験者の声を伝える 若者たちがインタビューし記事に

沖縄戦体験者の高齢化が進み、戦争を知らない世代へどう語り継いでいくかが課題となる中、高校生と大学生が95歳の体験者にインタビューした内容を新聞記事のようなかたちでまとめる取り組みを進めています。

これは、戦争体験を継承する県の事業の一環として初めて行われていて、県内の高校生と大学生15人が、沖縄戦の体験者で戦跡の保存活動にも取り組んでいる瀬名波榮喜さん(95歳)にインタビューした内容を新聞記事のようなかたちでまとめようと取り組んでいます。

18日は、このうち7人が那覇市に集まり、沖縄タイムスの記者から、まず体験者の証言を記事として残すことの意義を学びました。

そして、それぞれが書いた原稿の添削を受け、表現を直したり事実関係を確認したりしながら完成に向けて作業を進めていました。

那覇国際高校3年の大野陽菜さんは「瀬名波さんの思いを受け取ることができたという気持ちが、瀬名波さんにも読む人にも伝わるような文章にしたい」と話していました。

県女性力・平和推進課の島津典子課長は「平和への思いをどう次の世代に伝えていくか、県だけでなく県民みんなで考えていけたらと思う」と話していました。

完成した記事は、来月、瀬名波さんに手渡すほか、平和教育の資料としても活用したいとしています。

瀬名波榮喜さん(95歳)へのインタビューは、今月5日に行われました。

瀬名波さんは、いまの嘉手納町にあった県立農林学校に通っていた際、沖縄戦に巻き込まれました。

当時の体験を語り継いでいるほか、戦跡の保存活動にも取り組んでいて、那覇市の首里城の地下にある第32軍司令部壕の保存・公開を求める会の代表を務めています。

インタビューの中では、高校生から「突然、学校生活から戦争に備えることが中心に変わったとき、どのような気持ちでしたか」と質問されました。

瀬名波さんはこれに対して「よし一生懸命勉強しようと燃えていたが、4月に入学して7月になると中国大陸から第32軍が雪崩のようにおしかけてきた。校舎が接収され住む所勉強する所がなくなり、授業どころではなかった。陣地構築といって嘉手納飛行場をつくることになり、全学生が毎日動員され滑走路の整備をさせられた」と話していました。

瀬名波さんは、軍国少年で戦争に疑問を持たなかったということで、インタビューで強調していたことの1つが「考えること」の大切さでした。

瀬名波さんは「勝つんだとばかり思い込んでいた訳ですね。実際は負けているのに。そういう客観的な目を養う必要があるだろう。思考するということ、それができていなかった」と高校生や大学生に語りかけていました。