玉城知事フィリピンの米軍基地跡地視察 沖縄にどうつながるか

2月2日から3日間、玉城知事はフィリピンを訪れ、30年あまり前にアメリカ軍から返還されたクラーク経済特区を視察しました。沖縄でも、嘉手納基地より南のアメリカ軍基地の返還が示され、跡地開発の協議が少しずつ進む中、フィリピンで返還された基地はいまどうなっているのか。その現場を取材しました。

(NHK沖縄放送局記者 喜多祐介/マニラ支局長 酒井紀之)


【かつてのアメリカ軍基地跡地は】

かつてのアメリカ軍基地は、返還後どうなっているのか。玉城知事が向かったのは、首都マニラから90キロほどの場所にあり、アジア最大級のアメリカ空軍基地だったクラーク地区です。沖縄で、この先基地の返還が見込まれているため、跡地の開発計画を立てる上で、参考にしようという考えです。

(玉城知事)
「大胆な、ドラスティックな発想とそれを地域に付与するということは非常に大きな、将来性を描く上で大事なポイントだと思う」

この一帯はかつて、アメリカ軍にとって西太平洋地域の戦略の要とされ、ベトナム戦争では、後方支援と出撃の拠点とされていました。ただ、沖縄と同様に兵士による事件が続発。国民の反米感情が次第に高まっていきます。

転機となったのは、1991年。近くの火山が大噴火し、基地周辺の一帯が灰に埋もれてしまったのです。アメリカ軍は、ちょうど冷戦が終結していたことなどを背景に返還に合意し、翌年、近くの海軍基地とともに撤退しました。

それから30年あまり。基地だった場所は、企業やホテルが集中する、ビジネスと観光の一大拠点となっていました。この地区の開発公社の広報担当者は「事業のためにたくさんの企業が来てくれています。クラークはフィリピンで最も速いスピードで成長している場所の1つです」と話します。

【経済特区にしたことで急速に発展】

なぜ急速に発展することができたのか。理由の1つが、跡地一帯を経済特区にしたことです。沖縄の普天間基地のおよそ9倍にあたる、4400ヘクタールを「自由貿易地区」に指定。条件を満たせば、最長6年間、法人税が免除されるほか、材料などの輸入品には関税がかからないなど、進出企業はさまざまな優遇措置が受けられます。

その結果、いまでは日本も含めた世界各地の1100社以上が進出。14万人近くもの雇用を生み出すほどになっています。工場で働く男性は「ブーツや靴を作っています。工場の中での仕事は楽しいですし、生活費や家の費用とかで、家族を支えることができています」と話していました。

この経済特区の開発や運営を一手に担っていたのが、開発公社でした。自治体トップの経験もある、アグネス・デヴァナデラ総裁は、政府から公社に、さまざまな決定権が与えられていることが重要なポイントになったと振り返りました。

(アグネス・デヴァナデラ総裁)
「私たちはここを統制し管理しています、それがとても大事なことです。元々ここは工業団地にするだけの計画でした。ただここの立地・アクセスの良さからか年月を重ね、著しく成長してきました。いまでは政府からはまったく補助金をもらっていません。逆に私たちが政府に対して配当金を還元しています」

【アメリカ軍の施設も再利用】

もう1つの特徴は、アメリカ軍施設の再利用です。

空港の機能は残して国際空港に。エリアの真ん中でヒト、モノの流れを担います。兵士が使っていた住宅もリフォームされてカフェになっています。さらに、アメリカ規格の広い道路や区画を生かし、大型のレジャー施設やホテルが観光客から人気を集めていました。

沖縄が、この先に控えている基地返還にどう取り組んで行けばいいのか。今回、取材を通して、30年間の経験を経たクラークから沖縄に向けて、メッセージが伝えられました。

(アグネス・デヴァナデラ総裁)
「これまでとは違う枠組みの土地利用計画でなければなりませんし、沖縄が『投資先』『観光地』として好まれるような枠組みを作らなければなりません。その両方の組み合わせでなければならないんです。そうすればクラークのように、みんなが沖縄に住み・働き・楽しめるような場所になります」

【“沖縄でも導入できないか政府に申し入れたい”】

ヒントを探りに現地を視察した玉城知事。経済特区の指定など、企業誘致における独自の優遇措置を沖縄でも導入できないか、国に求めていきたい考えを示しました。

(玉城知事)
「面積の広さから言うとフィリピンと沖縄ではまったく広さが違いますが、新たに魅力を付加していくということを考えると、システムそのものは、クラークのシステムは十分検討して欲しいと政府に申し入れたいと思いますし、柔軟に考えていけるような余地もしっかり、国は地域に付与していただきたい」