戦争伝える 親子で考える平和の集い

沖縄戦から79年、当時の出来事を語ることができる人が少なくなる中、新たな取り組みが始まっています。

今月3日に開かれた西原中学校の2年生の授業参観、「親子で考える平和の集い」。

この日、戦時中のことを語った証言集を、生徒、保護者、教員が朗読しました。

沖縄戦当時、10代だった体験者の証言は同世代の生徒たちが朗読しました。

(朗読)
「戦争で失われた青春、与那嶺キヨ。(西原町)幸地出身15歳」
沖縄戦の体験を自分ごととして考えてもらいたいと、証言は西原町と関わりがある内容が選ばれました。

(朗読)
「『おばさん、米兵だよ。早く逃げてください』と言って必死で逃げました。おばさんは爆弾の穴に転げ落ちてしまい米兵に捕まってしまいました。私は川沿いに死に物狂いで首里の方に逃げました」

(朗読)
「一軒の民家に5、6世帯の人々が避難していました。ある時、隣の家が爆撃を受け、4人の死者と4、5人の負傷者がでました。私の家族もその破片で祖母と母が殺され、弟2人が負傷しました」

(朗読)
「私の青春時代は戦争のまっただ中にあり、それは苦労の数々を重ねたつらい時期でした」

保護者も朗読に参加しました。本島南部を逃げ惑う中で自身は肩を、子は頭を撃たれた母親の証言です。

(朗読)
「3歳の子も破傷風にかかり、傷口にはウジがわき、生きながら『ウジに食われる』と言って泣いていました。2か月ほどたって、とうとう下の子も死んでしまいました」

最後の朗読は先生です。負傷兵の看護のため戦場に駆り出された女学生たちを見送った教師の証言です。

(朗読)
「野戦病院に引きとらせた生徒たちのことが気になって仕方がありませんでした。学校に戻ってみると、校長以下11名の職員と看護隊の生徒はもうこの世にはなく、みんな亡くなっていました。この事実に直面した時、私は気が狂いそうになりました。ただ、ただ、自分が生き残ってしまったことを申し訳なく思いました」

参加した生徒は「朗読していた先生の声も相まって、先生もこんなふうに思うんだなぁみたいな感じが、身近に感じられました。いつも学校生活を見ている先生、とても生徒思いの先生だから胸に響きました」と話していました。

母親が朗読に参加した生徒は「自分のお母さんが戦場に本当にいたみたいで悲しくなりました。当時の人の思いがちゃんと伝わっていいと思います」と話していました。

朗読した生徒は「ちゃんと想像しながらやっていたんですけど、本当に戦争の残酷さ残虐さをよく知ることができた機会になったと思います」と話していました。