「対馬丸」での疎開 小学生が追体験し感じたことなど発表

太平洋戦争中、「対馬丸」で疎開した子どもたちの身に起きたことを今の子どもたちが追体験する研修が終わり、28日、発表会が行われました。

対馬丸は、太平洋戦争中の1944年に九州へ向かう途中、アメリカ軍に撃沈され、800人近くの子どもを含む1484人が犠牲になり、救助された子どもたちは宮崎県などへ疎開しました。

対馬丸記念会は、県内の小学生10人に当時の子どもたちの身に起きたことを追体験してもらう研修をおよそ2か月にわたって実施し、28日は締めくくりの発表会が行われました。

参加した子どもたちは疎開先だった宮崎を訪れ、当時の子どもたちと同じ質素な食事で数日を過ごしたことや、撃沈された時と同じような夜の海で船に乗ったことなどを壁新聞にまとめるかたちで発表しました。

このうち、那覇市の小学6年の女子児童は「家族がいなくて心細かった」と感じたことなどを、発表を見に来た人たちに説明していました。

対馬丸に乗船し、両親ときょうだいあわせて9人を亡くした対馬丸記念会の高良政勝代表理事は「次の世代に対馬丸の悲劇をつないでいくためには、生存者だけではどうしようもないと思う。体験して発表してくれて、大変頼もしく思った」と話していました。