「10・10空襲」など戦争犠牲者の追悼式典 那覇市主催

太平洋戦争中の昭和19年に那覇の街の9割を焦土に変えた「10・10空襲」や、翌年の沖縄戦などで犠牲になった人たちを追悼する那覇市主催の式典が開かれました。

11日は追悼式に先立ち、那覇市若狭にある慰霊碑の前で遺族たちがおよそ3万人の名前が記された戦没者の名簿を碑から取り出して風を通す年に1度の作業を行いました。

追悼式は午前10時から始まり、遺族などおよそ130人が参列して黙とうしました。

続いて、那覇市連合遺族会の瑞慶山良祐会長(81)があいさつし「ウクライナや中東での戦争が報じられ心が痛みます。戦争につながるいかなることも容認できないと団結してきた遺族会の思いはこれからも変わりません」と述べました。

そして、中学2年生の喜友名結さんが「『10・10空襲』で日本晴れの空が真っ黒になったという語り部のことばからは、戦争のむごさを伝えなければという思いを感じました。体験者が少なくなった今だからこそ、私たちが受け継がなくてはいけません」と決意を語りました。

このあと、参列者は献花を行い静かに手を合わせていました。

沖縄戦でアメリカ軍に投降したあと収容所で両親が亡くなった知念勝子さん(86)は「いまも戦争で子どもが犠牲になっています。戦争は二度としてほしくありません」と話していました。

追悼式はこれまで「10・10空襲」があった10月に行われてきましたが、ことしはほかのイベントとの調整の結果11月に先送りされ、遺族の間で風化を懸念する声が高まっていました。

これを受けて市は会場の管理者などと調整し、市によりますと追悼式は、来年以降10月に開催されるということです。