「10・10空襲」から79年 ”空襲の資料”を展示

太平洋戦争中の昭和19年、県内各地がアメリカ軍に空襲を受け1400人以上が死傷した「10・10空襲」から10日で79年です。
当時、焦土と化した那覇市ではその悲惨な記憶を引き継いでいこうと関連する資料が展示されています。

「10・10空襲」は、太平洋戦争中の昭和19年10月10日、那覇市など県内各地がアメリカ軍に空襲を受けて1400人以上が死傷し、那覇市のおよそ9割が焼失したものです。

その悲惨な記憶を引き継いでいこうと、那覇市歴史博物館では空襲によって一部が欠けたり茶色く変色したりした食器などが展示されていて空襲の激しさがうかがえます。

また、「国民学校復興案」という当時の書類には、空襲前に8つあった国民学校を疎開などで児童数が減ったため5校に編成し直す案が記されています。

このほかアメリカ軍によって上空から撮影された空襲後の那覇の町並みや空襲のよくとしの本島上陸に向けて作成された那覇周辺の地図が展示されています。

那覇市歴史博物館の山城みどり学芸員は「『10・10空襲』によって沖縄の住民は戦争を初めて身近に感じた。展示をご覧いただき空襲や沖縄戦に加えて今行われている戦争についても考えるきっかけにしてほしい」と話していました。