沖縄戦に動員の「ひめゆり学徒隊」ハワイで海外初の展示会

沖縄戦で旧日本軍に動員された女子生徒たちの体験を伝えるひめゆり平和祈念資料館の初めての海外での展示会が、ハワイで始まりました。

展示会は、ハワイのホノルルで毎年開かれている沖縄の文化や物産を紹介する催しの中で、2日から2日間の日程で開かれています。

沖縄戦では、那覇市にある沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒と教員240人が、「ひめゆり学徒隊」として軍に動員され、半数を超える136人が死亡しました。

展示では、軍に動員される前の女子生徒たちの学校生活や、戦場の劣悪な環境の中、「ひめゆり学徒隊」が兵士の看護に当たった様子が写真やイラストなどで説明されています。

また、学徒隊を引率した教師の中にハワイ生まれの女性がいたことや、戦後、ハワイに移住した元学徒がいることなどが紹介されています。

糸満市のひめゆり平和祈念資料館では、県の支援を得て2019年から戦争体験を海外に広く伝えるための調査にとりかかり、深いつながりのあるハワイを初めての開催場所に選んだということです。

会場には、沖縄にルーツを持つ人を中心にハワイの人たちが大勢訪れ、説明文を熱心に読んでいる人や涙ぐんでいる人の姿も見られました。

沖縄にルーツがあるという女性は「このような歴史があったことを知らなかったので、新しいことを知ることができて良かったです」と話していました。

また、カナダから観光で来たという女性は「さまざまな歴史を知ることは大切だと思います。ハワイだけでなく、カナダなどでも開催してほしいです」と話していました。

ひめゆり平和祈念財団の仲程昌徳理事長は「お祭りの中で戦争のことを展示するのはどうかと不安があったが、みなさんが関心をもって集まっていただきよかったです。平和を求める人たちにとって有意義な催しで、これからも海外で展示をしていく必要があるのではないかと思いました」と話していました。

【ひめゆり・沖縄とハワイのつながりとは】

沖縄とハワイのつながりは戦前の移民にさかのぼります。

沖縄からハワイへの移民は1899年に始まり、貧しさから抜け出すためなどの理由で、戦前、およそ2万人が移住しました。

戦後、沖縄が食糧難に苦しんだ際には、沖縄からハワイに移り住んだ日系人たちが資金を出し合い、豚550頭を船で送ったエピソードが知られています。

「ひめゆり」とハワイのつながりも深く、引率教師のひとりで、「ひめゆりの塔」の前にある壕でアメリカ軍の攻撃を受けて23歳で亡くなった親泊千代子さんはハワイ生まれでした。

親泊さんは「ひめゆり学徒隊」を描いた戦後の映画に登場する教師のモデルとなり、映画はハワイでも注目されたということです。

またハワイ出身の日系2世、ハリー・儀間真一さんは1950年代にひめゆりの塔の保全のため塔周辺の敷地の購入資金を寄贈しました。

このほか、戦後、ハワイに移住した元学徒もいて、このうち福田経子さんは今回の展示会に向けた調査の過程で、寄せ書きがされた当時のサイン帳を資料館に寄贈しています。