疎開する途中 尖閣諸島沖で遭難 犠牲者の慰霊祭 石垣

太平洋戦争末期の昭和20年、石垣島から台湾に船で疎開する途中、尖閣諸島の沖合でアメリカ軍の攻撃を受けて犠牲になった人たちの慰霊祭が3日、石垣市で行われました。

昭和20年7月3日、尖閣諸島の魚釣島の沖合で、集団疎開のため、石垣島から台湾に向かっていた輸送船2隻がアメリカ軍の攻撃を受けて沈没するなどして島民80人以上が犠牲になりました。

それから78年となる3日、石垣市新川にある慰霊碑の前に遺族や関係者が集まって慰霊祭が行われました。

新型コロナの感染拡大防止のため、去年までは遺族会の役員だけ参列していましたが、ことしは4年ぶりに通常の方法での開催となり、参列したおよそ25人はひとりひとり焼香して手を合わせながら、犠牲者を悼んでいました。

曽祖父母が犠牲となり、去年、遺族会の会長に就任した宮良芳明さん(75)は「規模を縮小し開催してきた3年間だけでも世の中を取り巻く状況は変わってきている。こういう情勢下だからこそ、われわれは賢く冷静に物事を見極めて、二度と戦争による惨劇に見舞われないように行動していくことが何よりの供養になると確信しています」と式辞を述べました。

父親が当時、家族4人を亡くしたという戦後生まれの崎村さよこさん(75)は「父親の無念さを思って参列しました。遺族の方たちにはずっと継承してほしいと思っていますし、私の子どもたちにも継承していってもらいたいと考えています」と話していました。