米軍戦闘機の小学校墜落事故64年へ 地元児童が事故を学ぶ

沖縄県うるま市の宮森小学校にアメリカ軍の戦闘機が墜落して児童など18人が犠牲になった事故から30日で64年になるのを前に、現場の小学校に通う児童たちが当時小学生だった男性の話を聞き事故について学びました。

沖縄がアメリカ統治下だった1959年6月30日に嘉手納基地を飛び立ったアメリカ軍のF100戦闘機が整備不良によるエンジントラブルで操縦不能となり、パイロットは脱出しましたが、機体は現在のうるま市石川に墜落し、25棟の民家をなぎ倒したあと、宮森小学校の校舎に激突して炎上しました。

この事故で児童11人を含む18人が犠牲となり、200人以上がけがをしました。

事故から64年になるのを前に、事故を語り継ぐ活動を行っている「石川・宮森630会」が、現場となった小学校の敷地内にある建物で企画展を開いていて、28日は小学校に通う6年生の児童28人が事故を学ぼうと訪れました。

児童たちはまず、ジェット機の機首が突っ込んだ教室や、ケガをした子どもたちが担架に乗せられて次々と運ばれる様子を捉えた写真を真剣な表情で見ていました。

そして、当時小学1年生だった630会の伊波洋正事務局長(70)が事故直後の校内の様子を説明し、今もなお事故の後遺症で苦しむ人がいると話しました。

話を聞いた小学6年生の男の子は、「たくさんの方々が亡くなって本当に悲しい事故だと思った。このような事故が二度と起きないように、学んだことを妹や家族とか身近な人に伝えていきたい」と話していました。

伊波事務局長は「自分たちが経験したことを今の子供たちには絶対に味わってもらいたくない。みんなが僕らのバトンを受け継いで、伝えていってほしいです」と話していました。