園児ら4人死亡 不発弾事故から49年 幼稚園で慰霊の行事

那覇市内で沖縄戦当時の不発弾が爆発して、近くの幼稚園にいた3歳の女の子を含む4人が死亡した事故から2日で49年となり、幼稚園で慰霊の行事が行われ、園児たちが平和を願いました。

沖縄の本土復帰から2年がたとうとしていた昭和49年3月2日、那覇市小禄で下水道の工事中、沖縄戦当時、旧日本軍が埋めた改造地雷が爆発し、近くの「聖マタイ幼稚園」にいた3歳の女の子を含む4人が死亡し、34人がけがをする事故がありました。

この事故から49年となる2日、幼稚園の移転先の豊見城市で、園児や事故を目撃した関係者などおよそ100人が出席して慰霊の行事が行われました。

上原成和牧師が園児たちに「皆さんと同じくらいの小さな子どもが亡くなりました。戦争は戦争をしたあともたくさんの人を傷つけます」と事故当時のことを話しました。

そして、園児たちは平和への祈りをささげました。

事故当時18歳の高校生で現場に居合わせ、慰霊に訪れた田島勝さんはNHKの取材に対し、「二度と戦争の二次被害がないように、平和な島であってほしい」と話していました。

沖縄戦からまもなく78年目を迎えようとしている今も、沖縄県内では、工事現場などで不発弾が見つかるケースが後を絶たず、沖縄総合事務局のまとめでは昨年度は427件、合わせて13.3トンの不発弾が処理されています。