岡山空襲で焼け残った3本のエノキの木 1本枯れ伐採 岡山城

太平洋戦争末期の岡山空襲で焼け残った3本のエノキの木が岡山城にあり、悲惨な戦争を今に伝えるものとして、岡山市の市民団体が平和学習などで活用してきました。
しかし、このうちの1本が枯れて伐採されていたことがわかり、市は残り2本が保存できる状態か確認することにしています。

枯れて伐採されたのは、岡山城天守閣の北側にある3本のエノキのうちの1本で、その切り株は真ん中が黒く空洞になっています。
昭和20年6月29日の岡山空襲では、岡山城天守閣が焼け落ちましたが、3本のエノキは幹の一部が黒く焼け焦げたもののそのまま成長しました。
岡山市の市民団体「岡山の戦争と戦災を記録する会」は、この3本が悲惨な戦争を今に伝えるものとして、平和学習などの場で、たびたび紹介してきました。
しかし去年10月、岡山空襲について城内をガイドしている際、3本のうちの1本が切られていることに気づいたということです。
連絡を受けた岡山市が調べたところ、岡山城内のせん定を委託されている業者が、木が枯れて通路に倒れかかっていたため危険な状態だと判断し、去年9月に伐採したということです。
業者は空襲で焼け残った木だとは知らなかったということで、岡山市はほかの2本には空襲で傷ついたものであることを知らせるプレートを取り付けました。
岡山市では、ことし夏ごろ樹木の専門家に見てもらい、保存できる状態か確認することにしています。

【この木が切られたのは悲しい】
「岡山の戦争と戦災を記録する会」副代表の谷口朋美さんは「岡山空襲の体験者が少なくなっている状況の中で、当時の様子がわかる貴重なものだった。証言者の一人だと思っているので、この木が切られたのは悲しい。きちんとみんなに考える材料にしてほしいので、木のメンテナンスなどをして、あとの2本は残していただきたい」と話していました。

【岡山の戦争と戦災を記録する会】
昭和20年6月29日の岡山空襲では、岡山市の中心部がアメリカ軍の爆撃を受けて市街地の6割以上が焼失し、1700人を超える市民が犠牲になりました。
この空襲のことや太平洋戦争中の岡山のことを後世に語り継ごうと、平成6年に発足したのが「岡山の戦争と戦災を記録する会」です。
これまで、市内で焼け残った建物や戦時中に使われていた物を調査しその記録を本にまとめたほか、戦争を体験した人の証言集も出版してきました。
そして、岡山空襲で被害を受けた場所を巡って平和の大切さについて考える見学会を行い、これまでにのべ1000人以上の人が参加しているということです。
この6月29日にも予定していて、午前10時に岡山城天守閣の前からスタートすることにしています。
参加の問い合わせは団体の副代表、谷口朋美さんまで。
電話番号は080−6322ー2079です。

【岡山市“残せるものは残したい”】
岡山市福祉援護課の松本豊課長は「戦災の記録を残していく立場としては非常に残念だが、老木化していて通行に支障が出ていたため伐採はやむをえなかった。残せるものは残し、できるだけ木が長生きするようできることをやった上で、在りし日の姿をアーカイブ化するなど後世に残していく作業を地道にやっていきたい」と話していました。