西粟倉村の街道「智頭往来志戸坂峠越」が国の史跡に

江戸時代には参勤交代にも使われた、西粟倉村にある街道「智頭往来志戸坂峠越」が国の史跡として追加指定されることになりました。

これは24日、国の文化審議会が文部科学大臣に答申したものです。
「智頭往来志戸坂峠越」は、西粟倉村と鳥取県智頭町にまたがる街道で、江戸時代にはこの道を通って鳥取藩の参勤交代が行われました。
智頭町内の街道は、平成20年に国の史跡に指定されていて、今回、西粟倉村内にある1キロあまりの街道とその周辺の土地、合わせておよそ8万9000平方メートルが追加指定されることになりました。
調査の結果、現在残っている道は明治18年から20年にかけて国道として改修工事を行ったものであることが分かり、明治政府による国道整備が地方でも進んでいたことを示す重要な史跡だということです。
また西粟倉村によりますと、村内では初めての国の史跡だということです。
土地の所有者の1人安妻美和さんは「子どものころから慣れ親しんだ場所が、大切なものだったと改めて感じている。鳥取の道と合わせて歴史を感じる場所になることを期待したい」と話していました。
西粟倉村教育委員会の関正治教育長は「活用することが大切なので、みんなで歩いて歴史を楽しんでもらうことができたらと思う。専門家による調査で分かったことを皆さんにも広く知ってもらいたい」と話していました。

このほか、県内では2か所が国の史跡に追加指定されることになりました。
ひとつは、総社市上林にある国の史跡「こうもり塚古墳」の周辺です。
「こうもり塚古墳」は、古墳時代後期に造られた大型の前方後円墳で、吉備を代表する実力者の墓と考えられていて、追加指定される周辺の場所は、調査の結果、古墳を造る際に、きれいに古墳が見えるように一緒に土地を整えたことが分かったことなどから追加されることになりました。
もうひとつは、笠岡市西大島にある縄文時代の貝塚「津雲貝塚」に隣接した場所です。
土器や石器、土偶の頭、当時の人たちが食べた動物の骨や貝殻などが発見されました。