交通事故で重い障害 患者治療の専門病院「岡山療護センター」

交通事故で死亡する人は減少傾向にある一方で、介護が必要な重い障害が残った人の数は横ばいで推移しています。
こうした患者を専門に治療する病院が岡山市にあり、大けがをした患者たちが、おおむね3年間のリハビリに取り組んでいます。

岡山市北区西古松の「岡山療護センター」は、交通事故の衝撃で脳を損傷し、自力で動いたり食事をしたりすることが難しくなった患者を専門に治療する病院です。
ベッドは50床あり、ことし3月末時点で、10代から80代までのあわせて44人が入院しています。
患者はいずれも意思の疎通が難しく、体調の変化を訴えることができません。
周囲の人たちが異変に気を配る必要があり、また治療の糸口となるわずかな回復の兆しも見逃さないよう、同じ看護師が1人の患者を継続的に受け持つ体制がとられています。
入院はおおむね3年間で、脳神経外科の専門医や看護師・理学療法士などが治療やリハビリを行います。
このうち理学療法士は、患者の筋肉や関節のこわばりを取って動きやすくしたり、後ろから支えるようにして歩く訓練をしたりしています。
またタブレットの画面に示されたひらがなの中から、同じ文字だけを選ぶ認知機能のトレーニングや、スイッチを使った意思疎通の訓練なども行われていました。
患者の五感を刺激するために、ベッドは大きな窓の近くに置かれ日光や季節の移り変わりを感じられるようになっていて、患者が好きだった音楽やテレビを流しています。
この病院は30年前(H6)に開かれ、これまでに503人が入院し、459人が退院しました。
入院した人のうち36%にあたる185人が、意思疎通の能力や運動機能が回復し、入院する必要がなくなり退院していて、多くの人が障害者支援施設に入所したり、自宅で家族の助けを借りたりして生活しているということです。
脳神経外科医で「岡山療護センター」の鎌田一郎副センター長は「重度の意識障害が残った患者の回復には、損傷を受けた脳が改めてプログラムを組めるようにならないといけない。そのためには、同じことを何回も繰り返し伝えて理解してもらう必要がある。3年間のリハビリで必ず改善するという信念を持って、これからも患者と家族のために治療に当たっていきたい」と話していました。
「岡山療護センター」086−244−7041。

【入院の要件や自己負担は】
独立行政法人「自動車事故対策機構」=NASVAは、交通事故による重い意識障害が残る人を専門に治療する病床の確保を進めています。
全国では、岡山・宮城・千葉・岐阜の4か所で専門の療護センターを設置しているほか、8つの病院の中に専門の病床を確保しています。
入院には要件があり、運動機能や摂食機能、認知機能など6つの指標について、それぞれ「ごく軽度」の0点から「重度」の10点の5段階で評価し、合計30点以上の人が対象になります。
入院できる期間はおおむね3年間で、入院時の要件と同じ指標を使い、合計が20点以下にまで回復した場合、退院を勧めることになっています。
病院は、自動車やバイクを持つ人が加入が義務づけられている「自賠責保険」の運用益などをもとに運営されています。
利用者は、国の健康保険や高額療養費制度を使うことで、入院にかかる自己負担は、食事やおむつなどの実費を中心に1か月およそ4万円から8万円だということです。
退院する時には、在宅介護で必要となるケアのしかたを看護師が家族に説明したり、医療ソーシャルワーカーが退院後に入所できる施設などを紹介しているということです。

【患者と家族は】
兵庫県宝塚市の56歳の女性は、交通事故に遭い、4年前の9月に岡山療護センターに入院しました。
女性は、発達障害がある子どもたちや高齢者施設でヘルパーとして働いていて、4年前の3月の朝、いつものように自転車で仕事に向かったところ、自宅近くの交差点でトラックにはねられました。
すぐに兵庫県内の病院に搬送されましたが、意識不明の重体でした。
55歳の夫はこの日の出来事について「妻が自宅を出てすぐに救急隊から電話があり病院に向かいました。手術のあと、医師から『意識は戻らないかもしれない』と伝えられたときは、あまりの衝撃で私は気を失ってしまいました。事故の直後は、なんでうちの家族がこんな目にと思いました」と振り返ります。
女性はその後、3か月ずつ2か所の病院で入退院を繰り返したあと、岡山療護センターに入院することになりました。
事故から半年たっても、意識ははっきりしない状態だったといいます。
センターに入院したあとも、コロナ禍で面会が制限され、オンラインでの面会ができたのは去年の春から、そして院内で直接会うことができるようになったのは去年秋からでした。
夫は毎月1回、時には息子など家族を連れて療護センターを訪れました。
会うたびに、女性の表情が明るくなりまぶたを開けたり閉じたりするため、夫は「意思疎通ができるようになった」と希望を感じたといいます。
夫は「事故のあと、意識は戻らないかもしれないと言われていたのが、目線もちゃんと合うようになってきて、しかも誰かというのもわかって、表情も出てきた。私からすれば、ここまで帰ってきてくれただけですごくうれしいです。転院を繰り返すとそのたびに医師や看護師も変わってしまう。3年間も治療を続けてくれる施設はほかにはなく、本当に感謝しています」と話しています。
女性は、およそ3年半の治療やリハビリを終えて、ことし4月、療護センターを退院し、事故に巻き込まれてから初めて自宅に戻りました。
自宅では、夫や看護師がたんの吸引やおなかのチューブを通じた栄養補給など医療的ケアや日常生活の介助を続けています。
24時間見守りが必要な女性を支えようと、かつて勤務していた職場の元同僚たちもサポートを買って出ました。
夫は「自宅に戻ってから笑顔も増えて、顔色もいい。妻のまわりには助けてくれる人たちがたくさんいて、仕事仲間だった人たちも励ましに来てくれていて、本人もうれしいと思います。現実を受け入れて必ずよくなるという思いで、もう1回、事故の前と同じく笑いの絶えない家族になろうと頑張っていきます」と話しています。