「平和教育に役立てて」備前焼の手りゅう弾を市に寄贈

戦争の愚かさを知ってもらおうと、太平洋戦争の末期、旧日本軍の命令で備前焼で作られた手りゅう弾が、備前市に寄贈されました。

この備前焼の手りゅう弾は、太平洋戦争末期の昭和20年ごろ、備前市に住んでいた備前焼の人間国宝、故・山本陶秀さんが旧日本軍に命じられて作ったものです。
鉄が不足する中、軍は全国の陶芸家たちに焼き物で手りゅう弾の製造を命じていて、備前焼もその1つでした。
山本さんは合わせておよそ600個を作りましたが、終戦を迎えたため実際には使われませんでした。
これまでも一部を市に寄贈していましたが、ことしになって山本さんの息子で備前焼作家の雄一さんが、地下の倉庫で木箱に入ったまま保管されている400個を超える手りゅう弾を見つけたということで、これからの平和教育に役立ててほしいと、すべてを市と県に寄贈することを決めたということです。
手りゅう弾は、高さおよそ7センチの卵型で、重さがおよそ250グラム、中は空洞になっています。
山本雄一さんは、「軍の命令で父親はいやいや作った。こんなものまで作らされ戦争をしたことを伝えていってほしい」と話していました。
備前市では今後、市の施設で展示するなどして、当時の様子を伝えていくことにしています。