400年前に来航 オランダ商船の乗組員たちの追悼式典 臼杵

およそ400年前の19日、オランダの商船「リーフデ号」が臼杵市の海岸に来航しました。
日本とオランダとの交流のきっかけになった出来事とされ、臼杵市では19日、乗組員の追悼式典が行われました。

およそ400年前の19日、オランダの商船「リーフデ号」が臼杵市の佐志生海岸に来航し、日本とオランダとの交流のきっかけになった出来事とされています。

19日は記念碑がある公園で、佐藤知事や在大阪オランダ総領事などおよそ70人が参加して、乗組員の追悼式典が行われました。

この中で臼杵商工会議所の小手川強二会頭が「長い航海のすえ、この地に到着したリーフデ号の生存者は江戸幕府で要職に就き、その後の日本の歴史に大きな功績を残してくれました」と紹介しました。

そして、参加者たちは乗組員に思いをはせながら記念碑に花を捧げていました。

リーフデ号の航海長だったウイリアム・アダムスは、徳川家康から武士として認められ、三浦按針という名をもらった人物で、ほかの乗組員とともに長崎県平戸市で商館の開設などに尽力したと伝えられています。

在大阪オランダ総領事館のマーク・カウパース総領事は「400年前、乗組員らは臼杵の人に食べ物を与えられ、救われた。人の命を救うというのは人道そのものであり、それを成し遂げた臼杵の人たちに感謝したい」と話していました。