“拉致”大澤孝司さんの当時の同僚らが思い出など語り再会願う

政府が北朝鮮による拉致の可能性を排除できないとしている大澤孝司さんが行方不明になってから先月で50年となりました。
17日、当時の同僚らが孝司さんとの思い出などを語り、一日も早い再会を願いました。

大澤孝司さんは旧巻町、現在の新潟市西蒲区の出身で、50年前の1974年2月24日、県の職員として働いていた佐渡市で行方が分からなくなり、政府は北朝鮮による拉致の可能性を排除できないとしています。
17日、兄の大澤昭一さんと支援者らが西蒲区で集会を開き、孝司さんと同じ寮に住んでいた同僚らが思い出を語りました。
このうち、坂口光男さんは孝司さんと酒を飲んだり麻雀をしたりしたと振り返ったうえで、行方不明になる前日の出来事として、「孝司さんを旅行に誘ったが『いいところがあるから行かない』と断られた。若手から誘われ、照れ隠しで言ったのではないかと思う。自分からいなくなることはないと思うので、一日も早く解決してほしい」と話していました。
また、同じく同僚の泉昭夫さんは、24日に孝司さんの部屋を訪れましたが不在だったとしたうえで、「署名活動を目にするたびに、いつまで続くんだろうと思う。一日も早く再会できることを祈ります」と話していました。
集会のあと兄の昭一さんは「前日に誘われた旅行に行っていればよかったのにと思う。再会したら家で横になって『長かったな、生きていてよかったな』と言いたい」と話していました。
大澤さんらは今後、拉致問題を担当する林官房長官と面会し、拉致認定を求める要望書を提出したい考えです。