長岡空襲から78年 亡くなった人を悼み平和を願う式典 新潟

アメリカ軍の空襲によって確認されているだけで1488人の命が失われた長岡空襲から1日で78年です。
長岡市では亡くなった人を悼み、平和を願う式典が開かれました。

太平洋戦争末期の昭和20年8月1日、アメリカ軍による空襲を受けた長岡市では、当時の市街地の8割が焼け、確認されているだけで1488人が亡くなりました。
長岡空襲から78年の1日、長岡駅前の「アオーレ長岡」では亡くなった人を悼み、平和を願う式典が開かれ、空襲を経験した人や、市内の小中学生などおよそ660人が参加しました。
式典では最初に出席者全員で黙とうをささげました。
そして長岡市の磯田市長が「きょうは決して忘れてはならない住むところも大切な家族や友人も一瞬にして失ったつらくて悲しい日です。ウクライナ戦争によりいまだに多くの尊い命が奪われています。県内唯一の大規模戦災都市である長岡市の責務として長岡空襲の悲惨さや平和の尊さを発信していきます」とあいさつし、代表者8人が献花台に花を手向けました。
このあと、7歳のときに空襲を経験し、母親を失った谷芳夫さん(86)が当時を振り返り、「私は運良く生き延びることができたが、280名あまりの学童の人生があの空襲で一夜にして消されてしまった。学童ひとりひとりの悔しさを想像するだけでも許しがたい」と話していました。
式典に参加した中学3年生の女子生徒は「家族と突然会えなくなることを想像するだけでも怖い。戦争が悲惨なものだったということを自分たちが次につなげていきたい」と話していました。