聖武天皇即位の儀式で全国から届いた物資の荷札か 木簡発見

奈良時代に都の中心だった奈良市の平城宮跡の近くで行われた発掘調査で、聖武天皇の即位に伴う儀式のために全国から届けられた米などの荷札とみられる木簡が大量に見つかりました。
調査した奈良文化財研究所は「儀式の当時の様子を知るための貴重な資料だ」としています。

奈良文化財研究所が奈良市にある平城宮跡の朱雀門の南側の一帯を発掘調査したところ、木の札、木簡が1000点以上まとまって見つかりました。
このうちの一部には▼天皇の即位に伴う儀式、「大嘗祭」を示す「大嘗」と書かれたものや、▼西暦724年を表す「神亀元年」という年号とともに現在の岡山県西部にあたる「備中国」という地名や「米」などの文字が書かれた札もあったということです。
神亀元年は東大寺の大仏造立に携わった聖武天皇が即位した年で、研究所では見つかった木簡は聖武天皇の即位に伴う儀式のために全国から都に届けられた物資の荷札とみられるとしています。
奈良文化財研究所平城地区史料研究室の馬場基室長は「大嘗と書かれた木簡が発見されたのは初めてで、儀式の当時の様子を知るための貴重な資料だ」と話しています。

【聖武天皇とは】
聖武天皇は、飛鳥時代の701年に文武天皇の皇子として生まれました。
724年に即位し、25年にわたって在位したあと、756年に亡くなりました。
在位中は政変や内乱、伝染病の流行が相次いだことから仏教を信仰することで国を治めようと、現在の東大寺に「奈良の大仏」として知られる国宝の「盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)」を造るよう命じました。
死後は、妻の光明皇后が遺品を大仏に納め、これが正倉院宝物の起源となっています。

【大嘗祭とは】
「大嘗祭」は、天皇が、即位後初めて、新しく収穫された米などを天照大神とすべての神々に供える国と国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る儀式です。
皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式とされています。
7世紀後半の飛鳥時代、天武天皇の時代から歴代の天皇が即位後に「大嘗祭」を行うことが皇室の伝統となってきました。
奈良時代の出来事を記した歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」には、奈良時代に7回の大嘗祭が行われたことが記されています。
都の中心だった平城宮跡からはこのとき使われた「大嘗宮」と呼ばれる施設の跡が見つかっています。
大嘗祭では、全国から「悠紀(ゆき)」と「主基(すき)」の2つの国が選ばれ、そこで収穫された米を納めることになっていて、「続日本紀」によりますと、724年に行われた聖武天皇の大嘗祭では、▼「悠紀」は備前国、現在の岡山県東部で、▼「主基」は播磨国、現在の兵庫県南西部でした。
古代の歴史に詳しい、大阪市立大学の栄原永遠男 名誉教授は「ほとんど実態が分からなかった奈良時代の大嘗祭に関する木簡が見つかったのは初めてで、実態に迫りうる、非常に貴重な史料だ」と話しています。

【解読された木簡には】
今回の発掘現場からは、1000点を超える木簡が見つかりました。
奈良文化財研究所がこれまでに解読を進めたところ、現在の岡山県西部・備中国から送られてきた白米や炭につけられていた荷札とみられる木簡などが見つかっています。
まだ泥に覆われた状態の木簡もあり、奈良文化財研究所は、泥の除去作業や、保存に向けた処置を行いながら、文字の解読作業を進めていくことにしています。