奈良 富雄丸山古墳 ひつぎから新たに3枚の鏡など発見

古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣など、貴重な発見が相次いでいる奈良市にある富雄丸山古墳で、木製のひつぎの中から新たに3枚の鏡などが見つかりました。
奈良市教育委員会は、鏡やひつぎの調査をさらに進めることにしています。

4世紀後半に造られたとされる奈良市の富雄丸山古墳では、▼古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣や、▼盾の形をした国内最大級の青銅製の鏡などがこれまでの発掘調査で見つかっています。
これらのそばでは、長さ5メートルを超える木製のひつぎが見つかり、金属探知機に反応があったことなどから、奈良市教育委員会が先月(2月)上旬から土などを取り除き、中を調べていました。
その結果、▼直径20センチほどの青銅製の円形の鏡3枚のほか、▼「竪櫛(たてぐし)」と呼ばれる竹製のくし9点が副葬品として納められていたことがわかりました。
鏡の中の1枚は大王クラスの巨大な古墳で見つかっている「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」の可能性があるということです。
さらに、ひつぎの底からは「水銀朱」と呼ばれる赤色の顔料が見つかっていて、色が濃い部分からは、骨に多く含まれるリンが検出されているということです。
奈良市教育委員会は、▼鏡の種類の特定とともに、▼リンが検出された場所には骨の一部が残っている可能性もあるとして、今後、詳しく調べることにしています。
奈良市埋蔵文化財調査センターの鐘方正樹 所長は、「鏡は保存状態がよく、次々と重なって出てきたので驚きだ。今後は副葬品を取り上げてひつぎの調査をさらに進めながら、保存に努めていきたい」と話しています。
発掘現場は今月(3月)16日と17日の2日間、一般公開されます。

【鏡の特定はなぜ重要か】
富雄丸山古墳が造られたとされる古墳時代の4世紀後半は、歴史書に日本の記録が残されていない「空白の4世紀」と呼ばれる謎に包まれた時代です。
この時代、鏡は権力の象徴としてヤマト王権から各地の有力者に分配されたとみられていて、鏡の時期や種類を明らかにできれば、王権との結びつきの強さなど、政治的な関係も推測することができます。
今回見つかった3枚の鏡は重なった状態となっていて、文様が施された背面はまだ確認できていませんが、奈良市教育委員会によりますと、一番上の鏡は縁の部分の形状から、「三角縁神獣鏡」の可能性があるということです。
「三角縁神獣鏡」はその名のとおり、縁の部分が三角形で中央に神や想像上の獣の文様が施されているのが特徴です。
中国の歴史書には邪馬台国の女王、卑弥呼が中国の皇帝から100枚の鏡を授かったという記述があり、この鏡が「三角縁神獣鏡」だとする説もあります。
大王クラスの人物が埋葬されたとみられる古墳で確認されていて、富雄丸山古墳より100年ほど前に造られた桜井市の「桜井茶臼山古墳」では、26枚、確認されています。

【木のひつぎの被葬者像は】
3枚の鏡が納められていたひつぎが見つかったのは、円い形をした富雄丸山古墳の北東側に四角く突き出た「造り出し」と呼ばれる場所です。
富雄丸山古墳には、頂上部にメインの埋葬施設があり、天理市の天理参考館には、明治時代にこの場所から出土したと伝えられている「三角縁神獣鏡」が収蔵されています。
古墳時代の鏡に詳しい大阪大学の福永伸哉 教授は、頂上部より格の下がる「造り出し」からも大型の鏡が3枚も見つかるのは珍しいとしたうえで、「古墳の頂上部に埋葬された人物はヤマト王権の中で極めて高い地位にあったことを反映しているのではないか」と分析しています。
また、今回の鏡が納められていた木のひつぎに埋葬された人物については、ひつぎの周辺で、▼東アジアで最も長いとされる鉄の剣や、▼盾の形をした鏡が見つかっていることを踏まえて、「頂上部の被葬者の活動を支えた腹心といえるような立場の人物だったのではないか。だからこそ頂上部の被葬者が持っていた超一級の宝物の一部を分けてもらい、副葬したと推測できる」と話しています。