法隆寺南側から飛鳥時代の溝の跡 「若草伽藍」の南端か

斑鳩町で法隆寺が創建当時にあったとされる場所から、飛鳥時代の溝の跡が見つかりました。
溝からは、7世紀前半の瓦が大量に見つかり、調査した町の教育委員会はこの溝が当時の寺の南の端だった可能性が高いと注目しています。

溝の跡が見つかったのは法隆寺の南側で、この一帯は寺の創建当初の建物があった「若草伽藍(わかくさがらん)」の跡と考えられています。
建物の建設に伴い町の教育委員会が去年5月から発掘調査を行った結果、幅およそ2メートル、深さおよそ50センチ、長さおよそ16メートルにわたる溝の跡が見つかりました。
溝の中からは7世紀前半の瓦が大量に見つかり、文様の特徴などから若草伽藍の中心的な建物である金堂や塔に用いられたものではないかとみられています。
また、「若草伽藍」は西暦670年に焼失したと日本書紀に記されていますが、溝の中からは焼けた跡が残る壁土も含まれていました。
溝の跡は伽藍で重要とされる金堂や塔のさらに南側に位置することから、全体の南の端にあたるとみられ、創建当時の寺の範囲を特定する手がかりになると注目されています。
調査にあたった斑鳩町の荒木浩司課長補佐は「若草伽藍の範囲の特定につながる重要な成果だ。大量の瓦は今後の瓦の研究にとっても貴重な資料になる」と話しています。
今回の調査成果について、3月3日に現地で説明会が行われます。