桜井茶臼山古墳 破片の詳細調査で副葬の鏡100枚超と判明

およそ1700年前に造られた奈良県桜井市の古墳で見つかった大量の鏡の破片について、県立橿原考古学研究所は詳細な調査を行った結果、100枚を超える鏡が納められていたことがわかったと発表しました。
ひとつの古墳に100枚を超える鏡が納められていた例はこれまでにないということです。

県立橿原考古学研究所が古墳時代前期に造られた奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳で行った14年前の発掘調査では、青銅製の鏡の破片が大量に見つかりました。
当時、少なくとも81枚の鏡が納められていたとして、ヤマト王権を率いた王の墓ではないかという説を裏付ける貴重な資料とされてきました。
研究所が3次元の計測データをもとに破片を組み合わせる詳しい調査を行ったところ、これまでよりおよそ20枚多い103枚以上の鏡が納められていたことが新たにわかったということです。
このうち中国製の「画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)」は14年前の調査では1枚とされていましたが、今回19枚に増え、さまざまな文様のものが納められていたということです。
また、邪馬台国の女王、卑弥呼が中国から授かったという説もある「三角縁神獣鏡」は26枚あり、納められたものの中では最も多いということです。
研究所によりますと、ひとつの古墳で100枚を超える鏡が確認されたのは今回が初めてだということで、研究所の岡林孝作 学芸アドバイザーは、「数が突出して多いだけでなく、サイズの大きいものやつくりの精巧なものばかりが集められており、桁違いの副葬品といえる。日本人が製作のモデルにした中国の鏡が多くそろっていることなどから、埋葬された人はこのころ始まった銅鏡の国産化を主導していた王だったと想定できる」と話していました。

【桜井茶臼山古墳とは】
桜井茶臼山古墳は、およそ1700年前の古墳時代前期に築かれた全長200メートルの巨大な前方後円墳で、国の史跡に指定されています。
昭和24年と翌年の発掘調査で緑色の玉でつくった儀式用のつえや鏡の破片など多数の副葬品が見つかり、古墳の規模や副葬品の豊富さなどから、日本初の統一政権とされるヤマト王権を率いた王の墓ではないかとの指摘があります。
平成21年には、奈良県立橿原考古学研究所が再び調査を行って、埋葬施設の石室の周辺の土から大量の鏡の破片が見つかりました。
このほかにも、古墳の中心部にある埋葬施設の石室が全面にわたって赤い顔料で塗られていたことが確認されたほか、埋葬施設を囲む柱の列の跡が、国内の古墳で初めて見つかりました。
古墳時代が始まる3世紀から4世紀にかけての大型の前方後円墳の多くは宮内庁が管理していて、研究者でも立ち入ることができず、発掘が可能な桜井茶臼山古墳の調査成果は当時の王の墓を解明する上で貴重な手がかりになると注目されています。

【邪馬台国との関係 専門家は】
今回の調査について古墳時代の鏡について研究している大阪大学の福永伸哉 教授は、「出土した鏡1枚だけでも有力な首長と言えるのに、優れた鏡が100枚以上納められた古墳があるとは思ってもみなかった」と考古学的に非常に価値の高い発見だとしています。
中でも「画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)」と「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が数多く見つかっていることについて、福永教授は「邪馬台国」の女王、卑弥呼と大きく関係していると指摘しています。
「画文帯神獣鏡」は、「邪馬台国」の時代と重なる同じ奈良県桜井市にあるホケノ山古墳でも見つかっていて、卑弥呼が政治で使ったとされ、19枚も見つかったのは今回が初めてということです。
また「三角縁神獣鏡」は、卑弥呼が中国から当時の日本の王と認められ「親魏倭王」となった後に使っていたとされ26枚が出土しています。
このことから福永教授は「邪馬台国の所在地として、このような場所がかなり有力だと考えるのは自然だと思う」と述べたうえで、「邪馬台国からヤマト政権への連続性がはっきりとたどれ、ヤマト政権の王が桜井茶臼山古墳に葬られている可能性が非常に高い」と話しています。