“藤原宮の瓦を焼いた”窯跡6つ確認 一部は当時最新の形式か

橿原市で、飛鳥時代の都の中心部、藤原宮の瓦を焼いたとみられる窯の跡が6つ確認されました。
一部の窯は、当時では最新の形式とみられるということで、専門家は「新たな技術を導入して宮を造営する段階の試行錯誤の姿がうかがえる」と注目しています。

奈良文化財研究所は、橿原市の「日高山」と呼ばれる丘陵でことし5月から発掘調査を行い、斜面の一部を掘り込んで底の部分を階段のようにしたり、穴の周辺にレンガを積んで「しゃもじ」のような形に整えたりした跡を見つけました。
こうした跡は全部で6つ確認され、いずれもおよそ1300年前の飛鳥時代のもので、その形の特徴や周辺で瓦が見つかったことなどから、すぐ北側にあった当時の都の中心部、藤原宮で使われた瓦を焼くための窯の跡とみられています。
これらの窯のうち、3つは、瓦を置いて焼く部分が平らな「平窯」と呼ばれる当時としては最新の形式で、残りの3つは従来のタイプの窯としています。
ここで瓦を焼き始めたのは宮の造営が開始される段階だということで、日本の窯の歴史に詳しい大阪学院大学の藤原学 元教授は「宮の造営で大量の瓦が必要になり、早く瓦を生産できる最新の窯が導入されたのだと思う。ただ、初めてのことでもあり、うまく作れる確証がなかったので、それまでの形式の窯も併用されていたのではないか。試行錯誤する様子がうかがえる発見だ」と話しています。
この窯跡については7月1日に見学会が行われます。