菅原遺跡の円形建物跡は「多宝塔」か “行基らの国際性示す”

奈良時代の高僧、行基ゆかりの寺があったとされる奈良市の遺跡で見つかった円形の建物の跡は、のちの時代の寺院に見られる「多宝塔」と呼ばれる施設の可能性が高いことが分かりました。
同じような建物は当時の中国でも見られ、専門家は「行基らの国際性を示す貴重な資料だ」としています。

奈良時代の建物跡、奈良市の菅原遺跡は、奈良時代の高僧で東大寺の大仏造立やため池の整備などさまざま土木工事に携わった行基にゆかりのある寺があった場所だと推定されています。
奈良市の元興寺文化財研究所によりますと、菅原遺跡の令和2年度の調査で見つかった柱の穴などが円形に並んだ建物の跡などを詳しく調べたところ、中心部には複数の石が円形に並べられ、円筒形の建物の土台だったとみられ、建物の周りには小さな屋根がつけられた構造になっていたとみられるということです。
こうした円筒形の建物はこの時代に類例がなく、研究所ではのちの時代の寺院に見られる仏などを供養する塔「多宝塔」の形をしていて、日本で最古の例になる可能性が高いとしています。
円筒形の塔は当時の中国でも見られるということで、調査担当者で現在は滋賀県立大学の佐藤亜聖 教授は「行基や、それを支えた集団が中国の文化の影響を受けた国際性を示す貴重な資料になる」と話しています。