明日香村の飛鳥宮跡で7世紀後半の建物跡 見つかる

飛鳥時代の都の中心部、明日香村の飛鳥宮跡で、7世紀後半の建物の跡が新たに見つかりました。
すぐ近くで見つかった大型の建物に付属する施設と考えられ、専門家は、「宮殿の構造を解明するうえで、貴重な資料になる」としています。

建物の跡は、飛鳥時代の都の跡、明日香村の飛鳥宮跡で見つかりました。
県立橿原考古学研究所が、天皇の住まいがあった「内郭(ないかく)」と呼ばれる区域のすぐ北側を調査したところ、7世紀後半のものとみられる建物の柱の跡が南北6メートル、東西10メートルの範囲で、8つ見つかりました。
この建物の北側では、南北15メートル、東西30メートル余りの、当時では最大級の建物の跡が見つかっていて、柱の間隔や西端の位置がほぼ揃うなど、計画的に配置されていたと考えられることから、研究所では、今回、見つかった建物は、この大型建物に付属する施設だった可能性が高いとみています。
大型の建物は、「日本書紀」で仏教行事などが行われたという記載がある施設の「御窟殿(みむろのとの)」ではないかという指摘もあり、古代の都の構造などに詳しい三重大学の小澤毅教授は、今回の建物について、「おそらく儀式の際に、天皇の臣下が使用する建物だったのではないか。飛鳥宮の構造を解明するうえで、貴重な発見だ」と話しています。
この建物跡については、11月5日と6日、現地で説明会が開かれます。